メモ書き

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反戦映画が、ツマラナイ

娯楽として見たら面白くないし、教養として捉えるには稚拙。
そんな中途半端な存在に映る反戦映画のメモ。

このタイミングで書くのもなんだけど、前に「太陽の帝国」を見た後のメモを見つけ、続きを書いた次第。

なぜかDVDを買っていて、そのパッケージに反戦どうのとあった気がする。

* * *

なぜ、ツマラナイのか?

史実をなぞっても、ドラマは無い。
人が戦っているだけだもの。

一兵士とか、一市民の目線で「反戦」を掲げても、戦争を決断した側の情報が入ってこないと、理不尽さしか描けない。
「なぜ、戦うことになったのか」が抜けたら、そりゃ物語としてスッキリしないし、腑に落ちない。

だから、物語としてツマラナイ。

そのくせ、反戦を言う割に、ミリタリーマニアの願望だけは詰まっている。
忠実に再現された当時の兵器に、大掛かりな撮影。
興味が無い人間からしたら些細な違いなどわからないのに、そこだけは注力している……。

「こういう映像を撮りたかったんだ」

そんな夢を見させられているか、あるいは技法の展覧会を見せられているか、そんな感じ。

* * *

「こんな人もいたんじゃないの?」

という風にキャラが用意され、そのキャラ同士のやり取りの中で、「私たちは、分かり合える」とか言われても、「権限のない個人同士の分かり合いで、どうにかなると?」となってしまう。

でも、こういう映画というのは、児童向けアニメが愛の力で戦って勝つくらいに、お約束の文法として受け入れられている気がしないでもない。

愛なんて、欲望の一つに過ぎないのに、他の欲望は捨て去るもので、愛は尊ぶものだと……。
愛は、執着も生むと思うんだけど。

同様に「仲間のためなら」とか言って「仲間至上主義」の作品もあるけど、仲間外れを生むのは仲間意識だと理解しているのだろうか……。

物事は表裏一体。
良い面と悪い面を併せ持つのに、100%善みたいな発想は気持ち悪い。

けどまぁ、個人にできることの範疇を考えれば、できそうな最適解として、上のような答えになるのかもね。

* * *

とはいえ……。

やっぱり、物語としてツマラナイ。

もはや、反戦映画は「悲惨だよ」「悲惨だね」くらいのものを見せて、「戦争は、ダメだと思いました」という小並感な感想文を書かせる役割しか持っていない。

史実を伝えるなら、ドキュメンタリー映画に及ばず。
エンタメとしては、他作品に及ばず。

それでいて、反戦という肩書きがあると、批判しづらい対象になっている。
批判したら「好戦主義者」というレッテルを貼られる可能性があるから。

そういう意味では、「反戦映画という批判しづらい盾」を装備した駄作でしかない。

面白いものを作れなくなった大人が、批判されない盾を装備した映像。
それに乗っかる宣伝屋……。
映画に出たことで何かを知った気になった役者……。

なんか、リベラル風ファッションみたいな存在になってやしないか?

戦意高揚映画を撮っていた罪滅ぼしとか、反動というのとは対極にある「理解なき反戦」とでもいうべきか。
「こういうもんだよね」という視点で生み出されるから、中途半端になるんじゃないか……。

* * *

「こういうの大事だよ」という何かで持ち上げられているだけで、実際には見る価値が無い。

楽しめないし、理解も深まらない。

それは、問題の本質をとらえられないまま、騒ぎだけを大きくする報道に似ている。
スポーツ記者が、そのスポーツを知らないまま伝えているようなもの。

ぶっちゃけ、銀英伝ガンダムでも見た方が、どうして対立が生まれ、解消できないのかがわかる気がする。

権限を持つ側を描いているから。