昨日の「次のイノベーションは、アラート機能」の続きみたいなメモ。
何というか、今までだったら「運が良かった」「運が悪かった」で済ませられる事象が、データ的に確率化されること。
更には、予測されてアラート通知される。
そんなことを言いたかった気がする。
天気予報だって、予測技術の一つ。
地震予知も然り。
大昔の人なら、自然の事柄は「運が良かった」「運が悪かった」の範疇。
それが変わってきた背景には、科学がありました。
先を予想できることで、イノベーションは起きているはず。
人々の行動変容があったという意味で。
渋滞予測ルート検索も、その類。
ディープラーニングの狙いどころは、こういった予測による行動変容にも あるんじゃないか。
「こういうケースでは、この辺がアブナイ」といった予想が可能になれば、「ヤバい何か」を回避できる確率は上がるかもしれない。
もう少し発見が遅れていたら、取り返しのつかないことに……。
そういったケースですら、室内に設置したサーモカメラによる遠隔情報で発見が早まるかも、みたいな?
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今までのイノベーションは、生み出すために大きな設備が必要なことも少なくなかった気がします。
でも、扱うのがデータであれば、保存に必要なスペースは限られ、管理コストも“物”とは違います。
写真がネガからデータに変わったように、データに変換可能なものは、すべからくデータへと移行していき、“それ専用の物”が少なくなっていく。
かつてはテープやレコードだった“音”も、データへと移行しました。
データに変換可能なものは、情報の器としての役目を終え始めた。
“それ専用の物”であるには、“それ専用の再生機”が要る時点で、“万能データ再生機”には勝てない。
石碑→毛皮→紙→磁気テープ→データ
記録媒体の歴史として見ても、大きな変革の時期は近年だったのかも。
そして、データの保存限界量が増えるほど、様々な可能性が高まっていく……。
無尽蔵に近いデータ領域を手にした後に待つのは、そりゃ情報過多な社会でしょうね。
となれば、その反動として「不要な情報を切る作業」が求められ、個々人でカスタマイズされた情報が求められるようになり、そこにも「あなたに必要と思われる情報が入りました」というアラートが……。
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変革を口にするとき、どうにもコミュニケーション・ツールの類に注目が行きがちな気がするんですけど、どうなんでしょうね。
人は、本当にコミュニケーションを取りたいのでしょうか?
付き合う人の数が減った方が、より自分と向き合った人生になると思うんですけど……。
自分の人生を振り返って思うのは、つまらない人を相手にした時間ほど、無駄なことをしたと……以下略。