メモ書き

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メディアの偏りを「是」とせよ|公平性は要らない

放送法にあるので、メディアは偏りをなくし、公平な報道を行っていることが基本。

ですが、「偏っている」と言われるのが日常茶飯事。

一次情報をそのまま伝えるのではなく、二次情報になっている時点で、何らかのバイアスが情報には付加されるもの。

誰それは「A」と言った。
その事実に対し、誰それは「B」に触れなかったという報道も可能であり、それもまた事実なのですが、そこには「Bに触れないとは、けしからん」というバイアスが働くわけです。
バイアスと書きましたが、実質的にはミスリードでしょう。

人が何かを話す場合、持ち時間があります。
時間は有限なので、無限に何かを語りかけることは不可能。
つまり、触れられない「C」や「D」は山のようにあるので、その手の突っ込みは無限に可能なのです。

この辺が、「触れられなかった」をニュースにする愚かしさ……。

さて、そんな偏向報道を行う相手は誰かと言えば、「時の為政者」が筆頭になるでしょう。
この洗脳に近い報道を何も考えずに見続ければ、その人は報道の影響を受けて、「こいつは、けしからん為政者だ」と思うはず。

それが報道だ、ジャーナリズムだ。
……と、思っていたとしても、それは国民の幸福に役立たない。
報道の仕方で潰された良案、商品、薬、システム、人は山のようにいるので、不幸のサンプルには事欠きません。
一方で、あれを報じてもらわなければ、世の中はダメになっていたというケースは、探すのが大変……。
大抵の場合、「遅すぎた情報」や「迷惑な報道」が多く、足りない知識による誤認、デマの拡散に埋もれ、悪貨は良貨を駆逐するが如く、砂漠の中のダイヤモンドになっている始末。

報道なる仕事をするのであれば、より社会にとって有意義なものであってほしい。
その願いの末に考えたのが、「メディアに公平性は要らない」ということ。

社会通念上、是非を問われれば「非」になりそうな案ですが、条件付きで「是」にすると見方が変わる気がします。

その理由を書く前に、放送法の引用を挟みます。

昭和二十五年法律第百三十二号 放送法

第一章 総則
(目的)
第一条 この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。

<中略>

第四条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

引用元:

elaws.e-gov.go.jp

さて、『メディアの偏りを「是」とせよ』の条件です。

条件とは「XXを応援しています」というもの。

つまり、立場を明確にせよ。
この一点につきます。

G新聞は「J党を支持します」と言われれば、「こいつら、J党信者だからな」という捉え方ができます。
M新聞は「R党を支持します」と言われれば、「こいつら、R党信者だからな」という捉え方ができます。

G新聞がR党を批判するのは日常になるでしょうし、M新聞がJ党を批判するのも日常になるでしょう。
わかりやすい例をあげるなら、デイリースポーツが阪神ネタしか扱わないようなもの。

この前提が明確になっていれば、どこかを批判しようと、よいしょしようと、「あぁ、好きな人を持ち上げ、嫌いな人を落としているな」と割り切れます。
より情報を正しく見れるわけです。

しかし、公平という建前があると、メディアは公平だからと、あれもこれも信じてしまって、それに誘導されるがままな人が増えてしまう……。

だから、偏りを受け入れるという話。

だって、偏らないって難しいですし、どちらかに寄るのが人間の性。

であれば、自分の立場を明確にして議論を重ねた方がマシじゃないですか。
そのための情報でしょう?

* * *

まぁ、そのなんだ……。

宗教の勧誘が、ただの友人を装って近づき、やがて正体を現すように……。
そう、メディアも公平さを装わないと、カモの懐に近づけないのかも しれませんがね。

それにしても、ネガティブキャンペーンで相手を引きずり下ろし、空いた椅子に座るだけの仕事になったら、誰も未来を語らなくなりそうですね。
本来は、「自分が当選したら、ここをこうして、こんな世の中にします。だから一票を」という流れなのに、「あんな人に任せては、いられない」と誰かを貶すばかり。
なもんで、そのダメ出しに「あいつだけはダメだ」という消極的な回避行動で、ダメ出ししていた人物を当選させたところで、その人が活躍するとは思えない。
なぜなら、その人はダメ出しに追われ、未来を考える時間を持てていないもの。
そんな人がトップになったところで、新たな未来は始まりはしない。できるのは、とりあえずの現状維持か、今までの極端な否定の二択。
人をこき下ろすことに明け暮れた末にあるのは、政策音痴のビッグマウス。得意なのは相手の悪口だけ……。
業務スキルとして求められている要素は、何一つない……。

でも、そういう人を支持する人が多いんでしょ?
あの人の毒舌はスッキリするとか、一時的な気分の問題で。

と、いうようことを思ったというメモです。