メモ書き

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やがて、人口は負債になる

ネタ的には、昨日の文章を少し踏まえた内容かも。

att3200.hatenablog.com

適当な文章でも、何か書いていれば「本来やるべき作業のスイッチ」が入ると思い、これを書いています。
入ると思い……いや、入ると願ってですね。

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人口が増えていくメリットは、「人口ボーナス」が説明しています。

人口増によって労働力人口が増加して成長率が高まることを「人口ボーナス」と呼び、この反対の現象を「人口オーナス」と呼ぶ。

www5.cao.go.jp

 
人、特に若い世代は消費が活発。
子どもは成長段階に応じて服を買い替えなくてはいけないし、ものをダメにする能力も一級品。
良いように書けば、消費の神様のような存在。
労働力では無いものの、将来的には労働力になる予定という点で見れば、金融相場における成長株みたいなもの。

現役世代は、労働力そのもの。
モノやサービスを生み出し、それを消費し、社会をまわしていく存在。
その数が増えれば、経済も成長しやすいというもの。

対して、労働を終えてしまった引退世代は……という書き方をすると酷だけど、消費の専門家には違いない。生産を終えたという意味で。
その消費の構成割合としては、公的サービスが少なくないでしょう。

こういった事情を踏まえれば、高齢者が今ほど多くなかった時代。
ベビーブームで人が増え、様々なモノの需要が喚起され、次々と新しいものが生まれれば、成長は加速していくのが自然だった……。

高度経済成長なるものは、何も日本だけに起こった現象じゃない。

「栄光の30年間」「ギリシャの奇跡」「スペインの奇跡」「改革開放」「台湾の奇跡」「漢江の奇跡」etc...

他の国は「奇跡」ばっかりデスネ……。

まぁ、何せよ、その現象は世代間の能力差ではなく、人口構成比率が大きいと認識してみます。
騒ぐのが仕事の人たちは、うまくいっている時は何かを持ち上げ、褒めたたえ、うまくいかなくなれば貶し、時代錯誤だと のたまうのが定番。
年功序列や終身雇用、日本型経営なんちゃらとか、そんな感じかな。

でも、人口構成比率は変動していくもの。
人口ピラミッドの形に合わせ、システムの骨組みも変えていかなくてはいけない。

「今まで大丈夫だったから」は、「これからも大丈夫」にはならない。
定期的なメンテナンスは、建築物には必要なこと。

それに、求められる労働の質も変わっていくもの。
仕事が紙とペン、それと電話で済んだ時代なら、一定以上の能力を持った「無個性の量産型労働力」で良かったかもしれない。
無個性の量産型労働力は、並列つなぎしたコンピューターのごとく、その処理スピードで他国のそれを圧倒できたでしょう。

しかし、コンピューターそのものが登場してしまえば、「無個性の量産型労働力」の価値は低下します。
無個性といえど、文句を言うでしょうし、待遇には気を遣うもの。
それに比べ、コンピューターは文句を言わないし、必要な分だけ補充でき、壊れれば捨てられるし、処理速度が早いのに乗り換えるのも容易。

学校のカリキュラムが「無個性の量産型労働力」を生み出すのに特化したままだとすれば、現状を打破する労働力を期待するのは筋違い。
「現状を打破する労働力」が欲しいなら、それを養うカリキュラムが要る……。

……ってなことを書きたいわけじゃない。
どんどん、話がズレていく。全体の構成を考えずに書き出すからだな。

* * *

なんというか、人口が増え続けている国と減っている国を分け、それだけで「次は〇〇の時代だ」というのは、違うんじゃないってことを書きたかったんですよ。たぶん。

人が増えていくなら、人口ボーナス的なものは期待できるかもしれない。
でも、前ほど「モノ」を必要としなくなった社会だと、その発展と停滞も一気に来るんじゃないか……。

「買い続ける理由」が希薄で、物欲のなさが同時に存在しているなら、購入したら満たされて終了です。
昨日のメモでいうところの、昔なら複数の家電が必要だったことが、今はスマホ一台で済んでしまうので、前ほどモノが要らないって感じに。

さらに言えば、教育ですよね。
今まで教育に力を入れてこなかったとしたら、子どもに対する教育を強化しても、その親は子どもレベルの学力を有していないかもしれない。
賢い子の可能性を、親が潰してしまう危険性。それを考えると、何とも言えない……。

* * *

そんなこんなで、人口の増減だけでは、成長は語れないって話です。

既に成長してしまった国のアドバンテージは、予想以上に大きいかもしれません。

もちろん、停滞ムードが漂う社会にあって、学ぶ気力すらない人が大半なら、ハングリー精神に勝る国の民の方が、「現状を打破する労働力」に近いでしょう。
意欲がなければ、どんな才能も発揮できませんから。

しかし、往々にして、意欲がある人は、勢いを求めるもの。
勢いがある場所に、大きなチャンスがあると思い、発展した国へと渡ってしまう……。

田舎が、より田舎になっていき、都会が、より都会になっていく。
そんな二極化が、国でも起こっていく。

おまけに、得意科目が計算だけだったコンピューター君の仲間に、図画・工作が得意なのも出てきて、体育や家庭科が得意なのも出てきて……。
そうこうするうちに、労働力としての人間が求められなくなったら、現役世代なんて言葉すらオワコンに。

だって、機械は文句を言わないし、福利厚生も気にしなくていいし、採用面接も要らなければ、解雇の手間もないもの。
何なら、機械には過去もないから、四半世紀前の問題発言とか、掘り起こされる危険性もない。
人間なんて、オワコンじゃん。

こうなったら、人口ボーナスもクソもない。

「人口増? 食糧の消費が増えて、嫌だね」

そう、為政者AIが言う日がやって来たら、我々はなんて返すのだろう?

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教育制度は労働者の新技術適応のための技能の習得から、 新製品の生産と新生産過程対応のものへと移行すべきである
引用元:世界銀行 「東アジアのルネッサンス 経済成長の理念 」 (2)