縦横無尽に駆け回るサル。
振り回される人間。
捕獲して戻すという結末。
「動物愛護の観点から」という視点でものを見れば、この問題における人間側の選択肢は狭まるでしょう。
仕方ない、そういうもの……。
では、意図的に動物が放たれた場合も、同じように対処するのでしょうか?
* * *
都市機能をマヒさせたい。
そう考えるテロリストがいたとします。
彼らが、大量の動物をトラックなどで都市部に運び込み、一斉に放ったら大きなパニックを起こせるでしょう。
殺さずに捕獲するために、人材や税金の投入もやむなし。
時間も労力もかかる。
その隙に別の目標を狙う……。
陽動として、効果的な手かもしれません。
なにせ、爆発物の類ではないので、運んでいるのを見つけても、検挙できない。
いや、動物にもよりますけどね。輸入しちゃダメなのとかいますし。
* * *
こんなことを考えてしまうのは、熊のことがあるから。
近所で目撃例があり、役所の車がアナウンスしていた……。
他県でスーパーに立てこもった……。
三毛別羆事件……。
それに対し、無関係な都市部の人間がクレームの電話。
「撃ったら、かわいそうじゃないか」
地元の人間は、かわいそうじゃないらしい。
ついでに言うなら、農作物を食い荒らされる農家も同情の対象ではなく、ネットに引っかかったシカは同情の対象らしい。
こんなクレームを入れ続けていたら、そのうち「同じ立場に立ってみろ」と、クレームを入れた家の人の前に、熊が運ばれて……。
「さぁ、お前だったら、目の前に熊が出たら、どう対処する?」
……ってな展開にならないかと、思ってしまうわけです。
* * *
そもそも、普段から肉を食っていて、動物愛護って何?
ゴキブリが出たら、親の仇のように狙うのに、生物の命を大事にって何?
一部の動物を食い、一部の動物を愛で、一部の動物を忌避する。
その矛盾した常識の中で叫ぶ、動物愛護とは何なのか?
結局のところ、自分にとって都合の良い存在や行為は良し、でなければ悪し。
それだけのダブルスタンダード。
「動物は、人の所有物」
「所有されていない動物は、ご自由に」
「でも、絶滅しそうなのは例外」
「そういう考えで言うなら、これも伝統的な視点で見れば例外にすべき」
「経済的なことを考えれば、このケースも例外に……」
「一般常識的に、これも……」
まぁ、何というか、例外を設けると、グダるのは当然。
これも仕方ないってやつなんでしょう。
「仕方ない」というニュアンスのセリフが出てきたら、日本の作品だ。
そういう海外の人の感想をどこかで見た気がします。
「仕方ない」で思考停止し、それ以上は考えない。
これが日本の処世術。
う~ん……。
* * *
ところで、よく能力バトルものの作品がありますけど、動物を使役する能力って、対戦相手によっては無類の強さを誇るかも。
動物を傷つけてはいけない。
そういった信条の人だと、手出しできないわけですからね。
結局、守るべきルールが増えるほど、弱点も増えるんですよね。
だから、そのルールが必要だと思うんだったら、同じくらいの熱量でルールの弱点をカバーする何かも考えないといけない。
「それが悪用されないか」
何かを始めるにあたり、最悪のケースを想定し、プランBを用意するように、そういう観点が要るんじゃないかと思ったというメモです。