メモ書き

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友人が増えるほど、失うものが増えていく

交友関係が広い人は、それ自体が自慢だったり、生き甲斐だったりするけど、それに付き合わされる家族は たまったもんじゃない……。

そう思ったという話。

付き合いが広いほど、亡くなった際の連絡先が増える。
付き合いが広いほど、要らぬ電話の相手をさせられる。連絡先を携帯電話にすればいいのに、家電にして対応しろという……。

付き合いが広いほど、揉め事に巻き込まれる可能性が高まる。特に子供。
付き合いが広いほど、交際費として金が出ていく。
付き合いが広いほど、外出する用事が増え、家の作業をやる時間が減る。
付き合いが広いほど、強制的に時間を浪費し、学ぶ機会を失う。

付き合いが広いほど、家族に望まない人間関係を強要する確率が高まる。
頼んでもいないのに友人だと紹介され、仲良くするよう求められて……。

そして、感染の可能性が高まる……。

* * *

付き合いが広いほど、得られるメリットもあるはず?

まぁ、「結果的にプラスになった」という話はできるけど、受け身の状態で促された人間関係という時点で、何か違うよね。

自分の意思に反して、引き寄せられた結果。
そこに価値を見出せるなら、どんな展開でも楽しんでいそう。

* * *

自分にも友人はいたし、得られたこともある。
ただ、いなかったら いなかったで、別のプラス要素があった。
そう思えてしまう。

引っ越しの度に人間関係をリセットし、長年の友人とも疎遠になった。
そんな状態になり、気づいたのは自分の性質。

結局のところ、「こうあるべき」という社会規範、あるいは「こうじゃないと格好悪い」という見栄……。
そういった理由で人付き合いをし、仕事をし、恋愛をしているフリをし、よくいる人間のフリをしていたに過ぎない。

私は誰かに興味がなく、社会全体に対しても無関心に近い。

情報を漁るのだって、「知らない」ことへの恐れ……。
いや、「知らない」と見下されるのは、「こうあるべき」という社会規範に反するから、知っておこうというだけ……。
つまらない見栄の産物。誰に対する見栄なのかも、不明な見栄。

そのくらいの動機しか持ち合わせていない。たぶん。

よくよく考えると、どうしようもない行動原理になっている。

いっそ、すべての見栄を捨て去り、自分が多少でも楽しめるものを追いかけ、その世界に浸り続けた方が楽しいかもしれない。
知っても楽しめない情報など求めずに……。

そう、大抵のことは、自分の人生に関係ない。
必要ないと、言い換えてもいい。

そのくらい割り切れば、「あれも大変だ」「これも問題だ」と騒ぎ立てる存在が、滑稽に見えてくるかもしれない。

* * *

話が別方向に進んだけど、交友関係が広い身内は嫌だ。
その最悪のケースの一つが、交際相手の家族を丸ごとターゲットにする痴情のもつれ。その可能性。
付き合いが広い人は、その広さゆえに、相手を選んでいない。質が悪い。
広く付き合うものだから、あまり相手にされない奴も相手にし、嫌われ者に妙な誤解を抱かせるもの。

付き合う人は選べ。
付き合わずに済むなら、付き合うな。

それが家族にとってベストな選択。

マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス『欲しいと思うものを買うな。必要なものだけ買え』