僕たちー私たちはー
今日、○○学校を巣立ちます
思い出がいっぱいの6年間
初めての3密回避
行けなかった修学旅行
熱中症で倒れた運動会
長かった緊急事態宣言
大会の無いクラブ活動
クラスターになった学芸会
タブレットが入れずらいランドセル
先生に教えたオンライン授業
ネットで探した、卒業式のテンプレ文章
がんばった自主的な卒業式
最後はゲーム内での交流だけど、みんな中学校に行っても、元気でね
* * *
熱中症で搬送という事態が身近であり、卒業式の呼びかけのことを考えました。
予定通りに行事が進行されない中、あの文言はどうなるんだろうと……。
そのルーツを探ると、そろそろ時代にあった視点で、再度 見つめ直す必要も感じてきますね。
戦後にはじまった新しいスタイルの卒業式は、教育者であった斎藤喜博が1955年に群馬県ではじめたものがよく知られている。それは、従来の卒業式にあった、いかめしい進行や、敬礼をなくしリラックスした雰囲気の中で行われるものだった。
式は斎藤が作った「おめでとう、六年生」という台本をもとに進められる。