メモ書き

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攻撃的な人には「騙されている」と言おう

主張が間違ってる人がいたとして、その誤りを指摘したところで、「そうなんですね」と素直に頷き、過ちを認められる人は少ない気がします。

自分が言った言葉に対して、引っ込みがつかなくなるのは、よくあることですからね。

事実に対する素直さがなく、まわりに誤りを指摘してくれる人がいないから、間違いを主張し続けられる……。
故に、過ちを認められる人は少ない。
そう考えることもできるでしょう。

で、過ちを指摘した後、多くの人が取る行動は何か。

多そうな例としては、言い訳。

「でも、あの人がこう言っていたから、私もそう思って~」とか。
「でも、××って考えたら、〇〇だって~」とか。

「でも」から始まる言い訳を必死になってする人ほど、長話になっていくので大変です。
きっと、「君が同情するまで、言い訳を辞めないッ!」と神に誓っているのでしょう。

次に多い例としては、攻撃ですかね。

指摘した相手を敵だとみなし、罵詈雑言を浴びせる。
口より手が早いと、物理攻撃に打って出る……。
厄介ですね。関わり合いたくないタイプです。

少ない例としては、語り合うパターン。
冷静に事実を付きつけ合い、話を整理していく系。
それでも、最後には一矢報いるように、ちょっとした反撃を試みるかもしれません。
「君の主張は大筋で正しい。しかし、この点はどうかな?」みたいに。
面倒くさいですね。

何というか、自分に一方的な非があることを認めると、人間関係性のピラミッドで上に立たれるような「危機」を感じているのかも。
だから、素直さなど二の次で、相手の指摘に対して「部分的」にでも勝とうとする……。

だから、こう思うのです。

『攻撃的な人には「騙されている」と言おう』

「君の主張は間違っている」ではなく、「君は騙されているんだ、その説を唱える奴に」と言うのです。
こうすることで、「自分←→相手」の話ではなく、「自分&相手←→第三者」の話にでき、ぶつかり合うべき存在が他にいる状況になるでしょう。

面と向かって否定すれば、相手の反発は自分に来ます。
その反発する対象を他に用意し、自分は相手の横に寄りそう……。

攻撃的な人は、何かに怯えているか、攻撃を受けて来たから、人より攻撃的になっているはず。
攻撃性の裏には、その必要性があった。
そう考えると、自分以外の攻撃対象物を用意する必要がある……。
そんな話です。

自分の失政から目をそらすために、「みんな近くにある国のせい」と言うのに、似ていますかね。

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そもそも、批判の対象となるのは「個人」ではなく、「行為」になるべきだと思うんですけど……。
「罪を憎んで人を憎まず」より「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」が優勢なのか、どんな意見か&どんな内容かよりも、誰の意見か&誰の所有物かが大事みたいですね。