メモ書き

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文化的な必要性は、顧客が決める

「演劇は、生じゃなきゃダメで云々……」
「文化を守るために、金を出せ」

そんな話を見る機会が増えましたが、よく読んでいません。
あまり読む気になれないので……。

一方で、馴染みの店がつぶれると聞き、常連客がクラウドファンディングを開始し、続けられる額を集めたところもありました。

こういう話を聞くと、「差」を感じますね。

必要かどうかは、顧客が決めるもの。
本当に残ってほしい「文化」は、常連客が当事者よりも先に動くのではないか……。

そこにあるのは、「やめようと思った。でも、必要としてくれる人が背中を押すので、続けることにした」というストーリー。
皮肉なことに、脚本のプロより“美しいストーリー”が展開されているんですよね。

結局、当事者が必要性を声高に叫んでも、自分の飯の種を失いたくないとしか、外野には聞こえない。
そんなところなのかも。

何かの「保護」を訴えたところで、それを保護する対象に価値を見出せる人にしか、その価値はわからない。
いや、価値が無いと言っていい。
その点、お金という存在は、多くの人にとって価値がある。

すべての行為に値札が付く。それが資本主義。
銀行が潰れると影響が大きいから公的資金を投入するのも、値札を見比べての判断。
イベントまわりの当事者を見渡し、さらには感染拡大リスクを含めて、値札を見比べるのも判断の一つ。

物差しが、当事者とは違う。

『危機に際し、受け手が動かない存在は不要』
『儲からないことをしても、仕方がない』

そんな冷たい感じの言葉が脳裏をよぎったところで、宝塚のことを思い出しました。
意地でも感染者を出さないよう配慮し、公演を再開しようとした話を……。

まぁ、その判断の是非はともかく、宝塚では常連客が動いている。
常連が動かないジャンルは、見切られているのかもしれない。

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保護と言えば、遺跡の保護とか面倒だよね……。

遺跡を現状のまま保存できない場合には事前に発掘調査を行って遺跡の記録を残し(記録保存),その経費については開発事業者に協力を求めています(事業者負担)
引用元:

www.bunka.go.jp

「事業者負担が、ドーン!」

掘ったら、負債が出てきた……的な?
保護するものを増やすと、それに関わる団体も増えるし、あまりねぇ。