仮に、戸建て住宅に、家族と住んでいるとします。
家族の一人が、共有スペースに私物を置いています。
置いてほしくない類の私物です。
「嫌だなぁ~」と思って、それは不快だから やめてと言ったところ、
「お前だって、アレをあそこに置いているじゃないか」と反論されました。
確かに、自分も共有スペースに物を置いている。
でも、それは“自分のルール”の中ではOK。
相手が置いているのは、“自分のルール”の中ではNG。
だから、そのあとに続くのは……
「アレはいいの。でも、ソレはダメなの」
という理由。
そんなやりとりがあったとします。
* * *
OKなものと、NGなもの。
浮かぶイメージは、人それぞれでしょう。
それを相手の立場に立って、「OK」と「NG」の線引きをしたら、納得できるでしょうか。
自分の主張が、ブーメランとなって返ってきませんか?
そんな内容です。
「誰もが謎理論で、自己弁護してる。でも、気づいていない説」は。
* * *
客観的になると、結構な謎理論を展開していた……。
自分にとって都合の良い解釈や、いつの間にか培われた謎の常識やマナーは、得体のしれない行動原理を生んでいるもの……。
SNS上で、誰かの謎理論が取り上げられ、「コイツ、おかしいな」とネタにする。
でも、自分にも似たような謎理論があり、それで自己弁護していて、しかも そのおかしさに気づいていない。
そういう可能性があるんじゃないか。
そんなことを考える出来事がありました。
なもんで、「相手が絶対に変だ」という態度は避けたいのです。
いつ、自分が意識できていない謎理論を突かれるか、わかったもんじゃないので。
それ以前に、人って 何かを指摘されると「攻撃された」と思い、「反撃」することを考えがち。
反撃を望む者は、指摘した相手の過ちを探すようになり、両者の溝は深まるばかり。
最終的に「相手の指摘を受け入れたら負け」という感情が強くなり、「何も言わなきゃよかった」ということに……。
そういう意味では、家族内での些細な指摘は控え、「ああいうの嫌だな」と思っても、「自分も、似たようなこと、思われているんだろうな」で済ます。
そんな事なかれ主義的な発想も、時にはいるのかもしれないデスネ。
* * *
「低賃金の仕事は、ロボットに取って代わられるでしょう」
引用元:お金持ちと貧乏人を分ける「趣味」「SNS」「家族への態度」 | マネーポストWEB
「いやいや、低賃金の仕事こそ変わらんでしょ。コストが低いなら、ロボットの方が高くつくもの。バカじゃない?」
とか思ってしまうように、私が書いた文章も誰かに突っ込まれ、自分が意識できていない謎理論を突かれているかもなぁ~と考えると……
あれ? 思ったほど、何にも感じませんね。
自分に対して、「そんなもんだろう」って感じだからですかね……。
まぁ、突っ込まれるのは、謎理論よりも“怠惰”の方が来るかもね。
日本も例外ではないようだ。米紙ニューヨーク・タイムズが、日本では、#中国人は日本に来るな(#ChineseDontComeToJapan)というハッシュタグがツイッターのトレンディングになったと伝えている。
引用元:
「いつトレンドになった? つーか、また聞きかよ? それで記事を書くなって」みたいな。
ちゃんと調べてからと思いましたが、この謎のハッシュタグで検索すれば、「また、コイツか」とか出てくるので、そっち方面の方の活動なんですかね。