「あの人が言うから間違いない」
「アイツが言うから絶対に違う」
時として、話の内容よりも、話している人で、その話の内容が判断されることがあります。
でも、「太陽は東から昇る」と、賢者が言おうが、愚者が言おうが、それは正解です。
「太陽は西から昇る」と、賢者が言おうが、愚者が言おうが、それは不正解です。
それでも、賢者だと信じた人の発言は絶対だと思い、賢者が「1+1=5」と言い出したら、「今まで、答えは2だと思っていたけど、きっと何かあるに違いない。今まで2だったのが、おかしい」と思い始める人もいるでしょう。
これが権威のなせる業。
同時に、好ましい存在の発言にも、権威と似たような働きがあるでしょう。
好きな人が言う「実は、太陽は西から昇っている」と、嫌いな人が言う「太陽は東から昇る」では、前者を支持したくなる気持ちが強まるのが人情。
まぁ、明らかに「おかしい」ものを突きつけられれば、「さすがに……」と目が覚めるでしょうが、「おかしい」と思えるほど“何かが足りない人”は、盲目的に崇拝者に従っていく……。
それって怖いですよね。
思考停止し、その人にすがることで、楽に生きようとしているのかもしれませんが……。
これを踏まえて思うのは、芸能人に専門分野以外を語ってほしくないという個人的な願望です。
政治的問題Aと、政治的問題Bがあったとして、影響力のある芸能人が「Aだ」と言えば、その人の支持層は何も考えずに「A」を選択してしまう可能性があります。
その心理にあるのは「あの人が言うから間違いない」です。
心酔する芸能人がAと言えば、盲目的なファンはついていくでしょう、
それが、その芸能人への忠誠だとばかりに……。
でも、その芸能人が政治的問題AやBに詳しい保証は ありません。
それどころか、芸能活動で忙しいなら、状況を正確に把握できていない可能性が高く、不十分な情報で意思決定している……。
そういうことを考えると、ファンを思うなら“この手の発言”は控え、ファンに自分で考える機会を残してほしいと思うわけです。
そんなつもりはなくても、そうなってしまうほどの影響力があるわけなので……。
一方で、誰にでも自由にものを言う権利があるでしょう。
影響力があるから、自由に何かを言えないとなれば、権利の侵害だとわめきたくなる……。
とはいえ、扇動者になりたい人以外は避けるべきでしょうし、自由とセットになっている責任の部分で、背負いきれないものも出てくるでしょう。
その発言によって、批判的なポジションの客層を失うことになれば、他のスタッフに影響が出てくるでしょう。これは大きな責任です。
最初から、スタンスが明らかな人で、スタンスが明らかな仕事しかないのであれば、何の問題もない話でしょうけど。
例えば、宗教Aの人が、宗教A関係者を推す発言をし、宗教A絡みの番組の仕事をする的な……。
一言で言えば、話の内容の是非は、「誰が主張していたのか」ではなく、「その内容で考えるべき」というだけの話です。