メモ書き

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「未来のミライ」の感想|つまらないと楽しめるの境界線

金曜ロードショーで放送されたのを今になって視聴。

放送当時、ボロクソに言ってる人を見ていたので、何一つ期待しないで見れました。

ボロクソ具合は、映画公開時より酷かったので、「金を払って見ない奴ほど、文句を言う」と主張する人もいたような。
お金を払うと、「自分は無価値なものに代金を払った」と思いたくないので、良いところを見ようとする感覚はあるのかも。あと大画面だし……。

個人的には、もう映画館では見ない気がします。
トイレが近いので、途中で立つ可能性が大。立って歩く際に邪魔になるという懸念から、集中できなくなるので……。
厄介な人と同じ空間で見る羽目になる危険性もありますし、そういったリスクを考えると、美味しいものを食べた方が幸せかなって思ってしまう。

話を戻し、「未来のミライ」の感想を。

まず、冒頭で拒絶反応が起きました。
声に、です。

顔が子供なのに、明らかに子供じゃない声。
違和感がありました。

あれよりなら、誇張された感じの子供の声の方が聴きやすいです。
これは感想というより、キャスティングへの疑問。
どうして、子役を使わなかったのかという……。
父や母の声に合わせるとしたら、子役を起用するのがベターじゃないかと。

次は、家の中でも見れるやりとりを、画面内でも見たくないというもの。
家の中に小さな子供がいれば、似たような光景は展開されます。それを、わざわざ……というのが正直なところ。

「人間を描くのがドラマだ」とはいえ、そのまま描写するは表現じゃない。
そういう意味で、細部まで描こうが退屈な映像でしかなく、誰かが言っていた人の家のホームビデオの域を出ない感がありました。

ここで見るのをやめようかと思いましたが、突如としてファンタジー要素が注入されます。
これが、私にとっての“つまらないと楽しめるの境界線”でした。

動物の人間化や時間移動といったファンタジー要素の説明は特にないですが、そういうものだと認識。そこから見れるように。

結局のところ、いろんな時間に移動して、いろんな体験をして、みんな繋がっているんだで終わる。
そのくらいの印象しかありませんが、ホームビデオ映像よりは、ファンタジーな個所の方が映像として楽しめました。
楽しめたと言っても、これより面白い作品はいくらでもあります。テレビ作品でも。

ここで他の人の感想を思い出してみます。
確か、あの特殊設計な家に垣間見える金持ち具合が気に食わないとか、娯楽ではなく文芸だとか、そういう意見があった気がします。
でも、それよりなら「ケモナー好き&ショタ好きが、それを隠して映画を作ってる」という方がしっくりきます。

うまく言えないのですが、何かが足りない映画でした。私の中では、ずっと。
一言で言ってしまえば、「目的」に対する「答え」かもしれません。

ここのところ、海外ドラマでシリコンバレーミスターロボット、スタートアップと見てきました。
登場人物に「目的」があると、非常に見やすいです。
それは、自分が作ったものを世に広める、金儲け、破壊、成りあがる、脱ギャング等々、そういった「何を考えているのか、わかるもの」です。

もちろん、そういうのがすべての作品に要るとは思いませんし、この作品では男の子の「構ってほしい」「妹より自分を見て」を目的と捉えられるでしょう。
でも、それを目的とするなら、時間移動の先にあった「答え」は何だったのか。
それは「目的」の対になっているのか。そんな気になりました。

なんて、偉そうに書きましたが、実は途中からアホ視聴モードになっていたので、よく見てません。

「じいちゃんの若いころ、カッコイイな」
「イケメン高校生来た」
「“好きくない”で狙ってるなぁ」

といった感じの見たまんま感想モードです。

そのキッカケになったのは、「おばあちゃんが根負けするまで」というセリフ。
小さい頃の母親のセリフです。子供が「根負け」なんて単語使うか?
あの泣き芝居の導入理由も、微妙じゃない?
そんなところから完全に覚めてしまい、楽しむために視聴モード切換……。

似たようなのは「四月は君の嘘」のときも思いましたけど、子供が使うには不自然な言葉ってありますよね。

そこで、改めて子供が使うと変な言葉は何か、考えてみました。
子供も色々いるので、難しい言葉を使っていても、違和感がないケースもあります。
それは、「そういう子供だ」という設定がある場合です。

この作品で言うなら、鉄道が好きな子が列車の名称をスラスラ言えても不思議ありませんが、興味のない子が言い出したら違和感がある。それと同じようなこと。

母親のキャラ的に、「ないな」と思えばこそ、違和感があったんだと思います。
そういう言葉を使ってしまう背景には、「使わないと説明できない」という作り手側の都合があるかも。
いや、今回の件で言えば、「猫を飼ってもいいって言うまで、やめない」でいいんだよね。
その方が子供の語彙として、違和感がない気がするんだけど……。
なんで、あんな台詞にしたんだろう……。

個人的な感想として書きたかったのは、上記のようなこと。


* * *

冒頭の部分を子供に見せることで、「こんな感じなんだよ、君たちは」と言えるかも。
そういう意味では、教材として面白いような……。
ただ、子ども時代の母親が散らかすシーンは、真似されたくないので、そこはカットしたいところ。