メモ書き

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男が、女の話を聞かない理由

男が、女の話を聞かない理由。
ズバリ、女の話がツマラナイから。

こう書くと、「自分は違う」と言う人が出てくるでしょう。
そりゃ、そうだ。

「男」や「女」と、主語をデカくしてるけど、一人の人間の体験談なんだから当然。
所詮、狭い範囲の「男」と「女」でしかない。

とはいえ、正確を期して「オレという男が、今まで付き合った女の話を聞きたくなかった理由」にしたら、クドい。なので、短くしてるだけの話。

ちなみに、退屈な話として覚えているのは、職場の人が彼女の趣味を理解していて、その趣味に関する休暇を取らなくていいのかと言われたこと。

それを さも面白い話のように語られ、「オチは、どこ?」「笑いのポイントは?」「何が、そんなに楽しいの?」という感じだった。

これに限らず、今まで付き合ってきた人の話は、振り返ってみると どれもツマラナイ。

なぜ、そんな人と一緒にいたのか?
好きだったわけじゃない。
一緒にいることで寂しさを紛らわせるとか、誰でもいいから話し相手が欲しかったとか、誰とも付き合わないのが正常じゃないみたいな強迫観念で、彼女らと一緒にいた気がする。

中には、「話が合う」と認識していた人もいるのだが、それは話が面白いとかではなく、会話によって気分的な落ち着きが得られていただけに思える。

しかし、不思議では ないだろうか?

男女での脳の違いを語る際、「女性は、脳の構造的に言語能力に優れ」みたいに言われる。
「話し好き」というか、言葉のプロフェッショナルみたいな言われ様だ。
なのに、話がツマラナイ。

男が、女の話の面白さがわからないだけ。
だとすれば、「女子会で、ツマラナイ話を聞くのが苦痛」という声は聞かないはず。

きっと、同性にも「ツマラナイ話をするヤツ」と思われてる人が多いのだろう。

もちろん、男でも話がツマラナイのは多い。
ただ、傾向が違う。

話がツマラナイ男の得意ジャンルは、自慢である。
昔の武勇伝とか、知識のひけらかしとか、そういうのが大好き。

女でも、ツマラナイ自慢話が好きな人もいる。
男との違いは「私ってブスだから」と言って、「そんなことないよ」と言われたいみたいな厄介な流れを好むこと。
自慢したい箇所を卑下することで、逆に自慢するみたいな回りクドさがウリ。

こういった傾向は、つく嘘にも言える。

男の嘘は、偽りの自慢話。
振るったこともない“コブシで語る”のが好きだ。

逆に、女の嘘は、理想の存在を作り上げるのが好き。
そして、その理想の存在に、理想の言葉を言わせるのだ。

そんなことを振り返っていると、彼女たちは話によって相手を楽しませるのではなく、何かを話すことによって、あるいは聞いてもらうことによって、自分が楽しみたかったのではないか。
そう思えてきた。

であれば、きっと話す内容は何でもいいのだ。
あぁ、ツマラナイ。

なるほど、そう思えばツマラナイ理由にも納得がいく。
だからといって、すすんで聞きたいとは思わないが……。

と、ここで話を終えてもいいのだが、今になって「話を聞かない男、地図が読めない女」を読んでいると、別のこともメモしておきたくなる。

『男が話すときは、左脳しか使っていない』

先の本には、そう書かれている。
2002年の本なので、研究が進んだ今は、少し見解が違うかもしれない。
というか、著者は その道の専門家じゃないし……。そもそもあれだし。まぁ、それはおいておくとして。

言語障害を起こした人を調べると、男性は左の後ろ側、女性は左の前頭に損傷が見つかるという。
そのうえ、喋る様子をMRIでスキャンすると、男性は左半球全体が活発になり、女性は全体的に活発になるとか。

左右の大脳を繋ぐ部分の働きが違うみたいな話も聞く。

「性差をなくそう」という意識が高まっているけど、だからといって「脳の作りの違い」は無視できない。

DNAに刻まれた古代の生活様式が、今も影響を与え続けている……。

狩りに出ていた男は空間認知に長ける、留まって集団生活していた女は言語に長ける。そんな話。

であれば、現代社会は女性向きかもしれない。

男の脳が持つ利点が活かされる機会より、女の脳が持つ利点が活かされる機会が多そうだからだ。

1997年に、デンマークコペンハーゲン市民病院神経科ベルテ・パッケンベルグ氏が行った知能テストでは、女性の方が3%ほど高い成績をおさめたそうだ。

なお、脳細胞の数だけ見れば、男性の方が40億個ほど多い。
でも、知能テストは女性優位だった。テストで役に立たない脳細胞の何と多いこと。

これに限らず、子どもの発達過程において、女の子の方が言葉を覚えるのが早く、語彙も豊富だというデータもある。

これを聞いて、「男って、馬鹿ね」が口癖な女性は「ヒャッホー」かもしれないが、「性差をなくそう」という視点で見ると、別の見解も考えられる。

あの医学部の入試問題の件だ。

日本の複数の大学の医学部が、女子や浪人生を不利に扱う……。

その背景にある勤務の問題や、浪人生のことはさておき、性差として3%の隔たりがあるなら、そこを鑑みる方が“平等”という見解を示すことも可能だ。理屈としては。

発想としては、アファーマティブ・アクションに近い。

段々、嫌な展開になってきたと思う人もいるだろう。
でも、「性差をなくそう」って発想は、こういうところに行きつく可能が、高いのではないだろうか?

現に、筋力差があるのでスポーツは男女別。
将棋のように、スポーツではないものの、性差が顕著な分野もある。

 

中野信子さんだったかな?
ラジオか何かで、男性の脳は 肌の露出が多い女性を見ると、「モノ」として捉えてしまうと言っていた。
であれば、性の違いの大元である脳の仕組み的に、そのことを女性も理解する必要が出てくるのではないか。

「あんたに見せるために、ミニスカ履いてるんじゃない」とか、そういう言い訳では済まされない。
脳が「モノ」として捉えてしまうのに、そんな恰好がするのは「配慮が足りない」と言われる。
そんな世界が待っているかもしれない。