病院で診察の順番を待っていたら、ヒステリーを起こしている人の声が聞こえてきました。
その人は受付に対し、どこそこで酷い仕打ちを受けた、こんなことを言われたと、被害者オーラを全開にしていました。
しばらくして診察室が空くと、その人は順番でもないのに診察室に入り、医師に何かを訴え始めました。
喚き散らす声が待合室にも響く中、次の順番だった私は黙って待つことに。
正直、あんな風に何かに怒ったことがないな、怒れるだけの元気があっていいな、と思うところも。
同時に、クレーマーに近い状態に陥った人を相手にする受付の人や医師を見て、その人に時間を支配されている印象を持ちました。
怒っている相手の気分が何より優先され、自分の時間を少しも自由に使えない。主導権を完全に失っていると言えばいいでしょうか。
誰かの世話にかかりきりになり、その人の為に自分の時間を使わなくてはいけない状況。それを“支配される時間”とします。
そういう意味で、最強の支配者は赤子になるのでしょう。
守らなくてはいけない存在であり、世話をして当然という認識があるからです。
一方で、その誰かが顧客であるなら、代価としての所得があるので、単純な支配とは言えないのかもしれません。
代価があれば、クレーマーに対しても「今日のお金は、よく喋るな」と思えるでしょうし……。
その支配される時間に関して、“社会的弱者への配慮”が強調されるあまり、妙なことになってはしないかと思ったのです。
罹っている病気からすれば、自分も その弱者側に足を突っ込んでいますが、だからといって他の人の時間を必要以上に奪ってまで“配慮”を求めたくはない。
アレルギーの人がいたから機内食がどうというニュースを見ても、自分が当事者だったら出て歩かないだろうな。人に気を遣わせるのは嫌だし、可能な限り家の中で生活できる方法を考えるんじゃないか。そんな風に考えてしまいます。
権利が云々の話をすると面倒ですが、“社会的弱者への配慮”というのは、余裕があるうちは可能であっても、余裕がなくなれば厳しくなってくるのではないでしょうか。
「差別って、よくないよね」と思っていても、その考えでは問題が大きくなるという本音があるから、本心に近い指導者を選んでしまうみたいな感じで、余裕があるときの思想は、余裕がないときには受け入れられなくなる。そんな話です。
余裕がなくなると、その余裕がなくなった原因を探し始め、得にもならないのに“配慮”を求められた存在に牙をむく。
「お前らのせいで、こうなった」
という現象に繋がるんじゃないか、みたいな可能性を考えたわけです。
弱者的マイノリティが声高に何かを主張する時代の次は、マジョリティの逆襲時代。
犯人探しと吊るし上げの恐怖。
「弱者が大切にされるなら、今日から弱者になる」
誰もがそう思い、一億総弱者になれば、いろんなものが維持できない。
すると、社会の余裕が完全に無くなり、弱者切り捨てのときが来る……。
* * *
ちなみに、そのヒステリーの人なんですが、最終的にはスッキリした顔で病院を出ていきました。
その後、診察室に入った私を待っていたのは、無力感を漂わせる医師でした。
さっきの出来事を「大変ですね」と気に掛けた方がいいのかと一瞬だけ思いましたが、あまり事情を知らないのに首を突っ込むのもなんですし、他の患者に関することは答えられないでしょうから、話題にするべきではないと思い、自分の症状だけ話して終わりました。
起こった出来事としては、これだけです。
あとは、何となく思ったことを書き留めただけ。