メモ書き

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部活動は無駄だったなと思う

部活動、特に運動部の話。
今になって思うと、好きでもないスポーツに費やした時間が無駄に思えてならない。

別に、好きで始めて楽しかったならいいし、それに文句を言うつもりはない。
ただ、私が通っていた学校の部活動は強制参加だったり、入らないとヒエラルキー的に不利になったりする傾向があったので、「あの時間を他のことに使えていれば」と思えてしまう。

今さらのように、そのことを思い出したのは、部活動に参加する子供と親が身近になったから。

部活動に入った子供の送り迎え、休日に行われる大会への同行。
スポーツ用品の購入もあるだろうし、家族の予定は部活スケジュール優先にもなる。
怪我をする確率も高くなるし、スポーツによっては体の一部分を酷使することで、職業病的な影響を与えてしまうこともある。

ここまでの負担を強いてするほどの価値は、たぶんない。
仮に、そのスポーツでプロになったとしても、それで暮らしていけるほど稼げる種目は限られるだろうし、怪我をして終わりも珍しくない上に、身体的な衰えによる引退と第二の人生の難しさもあるでしょう。

なのに、部活動なんてものが用意されていると、「入る」「入らない」という選択肢が出てきてしまう。なければ、それで済むのに。

「あの子が入ったから私も」
「入らないと仲間外れになるから」
「入ってる部活動で、人間関係のヒエラルキーが決まる」
「必ず、何らかの部活動に入るように」

そういったことも、部活動が無ければ無かった。
じゃあ、なんで部活動があるのか。

何かのアンケートで、部活動の意義は「人間形成」「社会性の育成」というのと、「放課後の管理」にあるというのがありました。
掲示板では「無駄を知る」「理不尽さの勉強」というのも……。
まぁ、無駄や理不尽は、どこでも学べますけどね。

人間形成や社会性の育成と言われても、根拠となるデータは見つけられなかったので、その辺は主観をぶつけ合うしかない……。

社会に出たときに役立つ人間を育成するということを考えた場合、その道で食っていく可能性の低いスポーツに費やすよりも、職業的な知識や体験に繋がる方がいいというもの。

プログラムを学ぶ部活が、野球部よりもメジャーだったら、日本は違った国になっていたはず。そんな気がします。

放課後の管理に関しては、暇な時間ができると悪いことをするのが出るからでしょう。
不良校の修学旅行が、山奥のスキー場になるのと理由は同じでしょうか。疲れ切って動けない、山奥で何もないから問題を起こしづらい。そんな発想。

でも、放課後の時間を有意義に使える子にとっては、部活動に奪われる時間はもったいない。知りたいことを追求する時間が奪われ、体力も消耗してしまう……。

運動をするという一点においても、個人的には効率的ではなかったです。
むしろ、運動嫌いを増やす結果になった同級生もいました。

だから、部活動を失くす。あるいは、海外で見られるような地域のクラブ的なのにし、学校と切り離す……。
そうすると、子供のスポーツ人口が減って、スポーツ用品を製造してるメーカーは困ることでしょう。逆に、習い事の教室への参加は増えるかもしれません。

なんだか、書いているうちに虚しくなってきたので、メモしておきたい文章を書いて終わりにします。

友人に付き合う形で、好きでもない野球部に入ったこと。その送り迎えの負担とか、子供の頃は考えてなかったけど、今となっては親に申し訳ない気もする。

自分の子供は卒業したのに、小学校の野球部の練習に現れ、強烈なノックをしていたオッサンに、「小学生が、そんな打球を打つかよ。お前のストレス発散に付き合わされてるのに、感謝の言葉を要求するな」と言いたかった。
ちなみに、このオッサンは「来ないでくれ」と監督にやんわりと言われ、来なくなりました。「あの人が来るなら、辞める」と言い出した人が出たこともあって。夕方のグランドに来ていたオッサンは、何をしていた人なんだろうか……。