メモ書き

****

年配者を敬えない理由

相手を尊んで礼をつくす。尊敬する。
それが敬うことだと辞書にあります。

「お年寄りは大事に」みたいな教育のもと、育てられれば儒教思想とはいかないまでも、そんな考え方が染みついてしまうというもの。

先人がいるから、今の自分がある。
何かを始めるにあたり、先人がいるのは心強いと感じることもあるでしょう。
その点からいえば、敬う対象としての存在価値みたいなものに納得できます。

中には、そういった納得できるかどうかは問題ではなく、「そういうものだから」「それが当然だから」と教えられ、信じ続けることが正義であり、異を唱える者は罰すべしくらいの勢いを持っている人もいたりします。

一方で、キレる老人や身勝手な年配を見るにつけ、「あんな奴らは、尊敬に値しない」と唾棄する人もいます。
世代間格差のアレコレで、不満がたまっている人もいるでしょう。

この手の話を書いていると、「お客様は神様」という言葉が脳裏をよぎります。
三波春夫さんが言ったときとは違ったニュアンスで用いられているアレです。

何というか、接客する側が相手を尊ぶという意味ならアリですが、客側がドヤ顔で要求するのは違う気がします。
それと似たような匂いが、「お年寄りは大事に」にもあるように思える。

こっちから敬う分にはアリだが、要求されると「はぁ?」みたいな気持ちになる。
みんな、自分の行動や選択は、自分の意思で決めたいのです。
「勉強しなさい」と言われると、するつもりだったのに「嫌だ」と言ってしまう。
そう、これが心理的リアクタンス
そして、年配者を敬えない理由のひとつ……かも。

次に、時代背景です。
ここ百年間と、千年前の百年間では、人々の暮らしは大きく違います。
便利になった、豊かになった、いろんな物が発明された、覚えることが増えて厄介だ、環境が云々……。
そういうこともありますが、親と子の生き方に差ができたのが大きいと、私は考えます。

昔なら、先祖が開墾した土地を守り、親も子も同じように耕していたかもしれません。
同じ作業をするのであれば、経験や知識が豊富な年長者は、生き字引と言えたでしょう。参考になるような書籍等の情報源も不足していたでしょうし、そもそも読み書きできなかった可能性もあります。

今は、どうでしょう?
親と同じ仕事をする人は多いでしょうか?
同じ職業に就いても、やっている作業に違いはないでしょうか?

かつて良しとされた手法が、今では時代遅れになっている。
大昔のように、年配者が身に着けたノウハウが、今も役に立つとは言い難い。
老人が生きた80年と、20歳の人がこれから生きる60年は、ライフスタイルが異世界に転移したくらいに違うのではないか。
そう考えると、変化の早さと長寿化が、世代間の溝を深めている気がしてきます。
役に立つ知識を持っているから、自然に敬われるという点が、前よりも薄まっているという意味で。
もちろん、それは個人差が大きいでしょう。
でも、傾向として「その人の凄さを感じ、自然に敬う」というシチュエーションが、前よりも少なくなったのが、年配者を敬えない理由に繋がっているのではないでしょうか。

まぁ、役に立つかどうか以前に、負の遺産を遺している場合は、厄介がられても仕方ないのかも……。
その最たる物は、何百年と消えないゴミでしょうか。
なので、自分たちは負の遺産を遺さないよう、気を付けないといけませんね。

最後に、根本的な理由について言及します。
「まったく、最近の若者は、何で年長者を敬えないのか」と言われたら、それは「あなたが若者を敬っていないからだ」と答えます。

「欲しければ、まず与えよ」ではありませんが、何も受け取っていないのに反すのは難しい。
敵意を向けられたら、敵意で返します。
「最近の若者は」と嘲笑されたら、尊敬の念も消え失せるというもの。

どんな相手であれ、自分にはない知識を持ち、参考になる何かを持っているものです。
だから、人は人に敬意を払う。その基本が欠如した状態で、一方的な敬意を要求しても、心の醜さだけが相手に伝わるのではないでしょうか。
ガリバー旅行記に出てくる不死人間みたいに。
それが、年配者を敬えない理由のひとつ……かも。

といった感じに、年配者を敬えない理由を考えてみました。