下の内容を真に受けてみました。
よく「と思う」「気がする」を使っているので、使わずに書いたのが昨日。
予想通りというか、何というか、歯切れはよくなったけど、いつもと違うテンポになりました。
結論から言えば、私には「と思う」「気がする」という断定しないニュアンスが要るってこと。
そういや、「という」も削除候補でしたね。
でも、これらは強い主張を抑え、ニュアンスを曖昧にすることで、炎上を防止する働きがある“気がする”のです。
予防線を張れるわけですね。
さっきの文章を「気がしない」感じで書くと、次の通り。
しかし、これらは強い主張を抑え、ニュアンスを曖昧にすることで、炎上を防止する働きがあるのだ(ドヤッ!)
こうなると、一言 言ってやりたくなりませんか?
それとも、説得される感じでしょうか?
個人的には、こういった文章で書いていくと、「~である(断定)」「~なのだ(断定)」「~しかない(断定)」という流れのまま、過激な方へと流れて行きがち。
結果、自分の主張に反する可能性を考慮にいれず、書いていて気持ちよくなる言葉を選び続け、オナニー・ライティングとなってイッてしまう……。
そして、そのオナニーが気持ち悪いと、誰かに吊るし上げられる……。
そんなことを考えたというメモです。