メモ書き

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次のゴジラは、何を壊すべきか

昭和のゴジラ映画が続いていたら、現代では何を壊すべきなのか。
そんな話です。

ゴジラシリーズを通して見てみると、時事ネタをストレートに入れている昭和の作品に、「当時を知る資料」としての面白さがありました。

オゾン層の破壊、極地の氷が溶ける問題、工場のスモッグ、汚水の垂れ流し等々。
そういった環境問題をヘドロの怪物に繋げたり、話のポイントに持ってきたりする。

出てくる人物も、聴取率のために危険な生物を運ばせたるスポンサー、金儲けのために好き勝手する経営者、機械の計算がすべての宇宙人と、ステレオタイプだけど狙いが伝わる登場意図がありました。

同じカットの使いまわしが増え、チープになっていく昭和のシリーズなので、第1作目の劣化版に見えるかもしれませんが、「水爆実験からのゴジラ」という原因と結果の関係性は、継承しているように思えます。

その流れで作るとなると、東日本大震災を扱うことになるでしょう。
汚染水を海に投棄となれば、それによる怪獣がと、当時の流れならしたかもしれません。
しかし、それをやれば海産物が売れなくなり、風評被害と言われて炎上することでしょう。
そもそも、フィクションでは触れちゃいけない空気があります。

せいぜい、東京電力の本社をさりげなく壊すのが関の山。
おそらく、原発施設で汚染物質の吸収とかやったら非難もの。
まぁ、「もんじゅ」あたりで それをやり、政治家が「廃棄費用を削減出来て、よかったじゃないか」と言って、失言として取り上げられるのは やれるかも。

環境絡みの問題を扱うとなると、プラスチックのゴミ問題。
海に不法投棄されたプラスチックのゴミが集まって怪獣になる。この科学的にあり得ない感じを許容してしまう昭和の精神が、別の意味で怪獣を生み出し続けたんでしょう。
プラスチックゴミの怪獣だから、プララ……。ダメだ、NTTに文句を言われる。
それに、ストローやレジ袋ばかり言われてるけど、クルーズ船が……以下略。

でも、正直言って安直だよね。こういうの。
怪獣は恐怖の対象。
であれば、現代人の恐怖を描かなくてはいけない。
現代人の恐怖、それはデータの消失。

通信量の制限、作業データの消失、データ化された資産の消失……。
人は所有物を失うことと、未知の存在が恐ろしい。
たぶん、それは不確定要素が増すからだ。

何かを失うことで、予定が狂う。
想定していた今後がなくなる。
未知の存在に出会うことで、今後の想像がしづらくなる。
だから、問題の原因を知りたがり、見つからない場合は、原因を作り上げて安心する。
恐怖は、想像することで大きくなる。「もしも」の不安が、ネズミを山にも見せる。

姿が見える敵に攻撃されるより、見えない敵に同じ攻撃をされた方が、はるかに恐ろしい。
怪獣の全体像を知る前と後では、知る前に一部だけが映ったときの方が怖かったりする。
知れば、恐れは薄れる。

それなら光学迷彩で、移動時にデータを破壊する飛行系怪獣が、もっとも恐ろしいということに。
この怪獣の凄いところは、見えないから、あまりCGを使わなくても表現できること。
停止する機器、モブの演技、それだけで未知の脅威を描ける。
やり方次第では、酷い茶番劇になってしまう可能性があるので、制作サイドにとっても脅威の存在。
最大の欠点は、現実にいない巨大生物が動くのを見に来た人に、ため息をつかせること。

まぁ、普通に見える怪獣を出すとしても、現代人の恐怖を描くとしたら、次のような感じ。
インフルエンサーが「大江戸線が地下深くにあるのは、核攻撃にも耐えられるように作ってるから。六本木駅が一番深い」と言い、大勢が押し寄せてパニックに。
でもって、怪獣が歩いて水道管が破裂。大量の水が流れ込む……。
一方、避難アプリがあって、他人のレビューを信じて行動したら、えらい目に。
「みんなと同じなら安心」という精神そのものを否定することで、恐怖を描く。

さらに、怪獣を見て車で逃げようとするのも、なぜか車は急発進。怪獣にロケットの如く突っ込むプリウス

怪獣が現れても出社を促すブラック企業に、徒歩でも行こうとする社畜たち。そんな彼らの会社を潰す怪獣を見て絶望する経営者と、「これで、今日は休める」と喜ぶ社員たち。
この人間の狂気こそ、恐怖。

下層階を馬鹿にしていたタワマンの高層階民が、外に出るのに時間がかかってるうちにドーン。
マンションの購入金額を叫びながらの絶命。

これが世相を反映したモブ。

とはいえ、悪い評価ばかりの作品になると困るので、評判が悪いエメリッヒ版を見て、アレのどの辺がNGだったのかも考慮する。
ちなみに、前にサラッと見たくらいなので、まじまじと見るのは今回が初かも。

個人的には怪獣映画に思い入れは無いので、見て怒り出すような感じはないですが、「これ、ゴジラである必要がないな。タイトルがジュラシック・パークでも問題がない」とは思いました。
何なら、怪獣型ゾンビでも似たような展開ができそう。
あとは、向こうの人は黒い傘が多い、元さや展開は嫌い、使い捨てカメラがあるんだなとか。

それまでのゴジラとの違いは、下記のような感じ。

<通常>    <エメリッヒ>
怪獣      海獣(訳:戸田奈津子
熱線を吐く   熱線を吐かない
通常兵器×    通常兵器〇
分類は不明   両生類とか言われている
食べる行為無し 魚を食ってる
生殖機能は不明 処女受胎で妊娠
身体が大きい  そこまで大きくない

怪獣ではなく、単なる未知の生物。
食べる、卵を産むと、生物感を丸だし。
熱線は吐かないし、通常兵器が有効。
この時点で、恐竜の一種でも代用が可能に。ただの恐竜パニック映画として作れば、文句を言われなかっただろうに。そんな作品でした。個人的には。

こうしてみると、どの辺がNGだったのかリストとして、エメリッヒ版は優秀。
熱線という特技、食事や生殖といった生物要素を出さない、通常兵器で殺せない、この辺が特に強い印象。

これを踏まえたうえで、次のゴジラを考える……。

そう思いましたが、平成シリーズを見ていると、
「過去作と同じことをする」⇒「退屈」
「過去作にないことをする」⇒「過去作へのリスペクトがない」
そんなジレンマも。
新しいものを受け入れない人がいるので、新しいことをしない。それでは、新しい技術を否定するばかりで、次の投資先が無くなり、雇用が減る流れのよう。

と、いうことで、先の禁忌のうち「通常兵器で殺せない」を犯します。

ゴジラ(小)登場」⇒「自衛隊が害獣駆除で出動」⇒「肉塊に」

ファンが激怒するくらい、ミサイルか何かでバラバラの肉塊に。
対物ライフルで人を撃つくらいのグロッキー映像。

でも、物語は、これから。
肉塊を持ち帰り、研究がスタートします。いろんなデータを得るうちに、「生きたまま、手に入れていたら」という声が……。
殺す必要があったのかという世論もあり、害獣駆除という判断は適切だったのか問われます。

そこに、二体目の登場。

ゴジラ(中)登場」⇒「捕獲すべきか否かの論戦に」⇒「揉めている間に上陸」⇒「いざとなれば、すぐに殺傷できる。一体目のように」⇒「その余裕がアダになる」

「熱線という特技」にも手を加えます。
口から何かを吐こうとするも、空気が揺らぐだけ。ミニラのように。
しかし、それは電磁パルス攻撃と同様だった。

電子回路がショートし、通常の機能を失った街を、ゴジラは悠々と歩いていく。
情報が遮断され、何も知らされないことで、恐怖が募る。

その頃、一体目の細胞を研究している場所では、捕獲すべきかどうかの判断材料の為、データに関するまとめを急かされていた。
ブラックな環境での作業の中、すべてを破壊したい衝動に駆られる研究者。
そんなに知りたいのならと、調べたデータをネットで公開。細胞のサンプルも希望者に配布する……。細胞は海外へも。

某国では、その細胞をXXして、別のXXを生み出す。
「怪獣は、人が生み出した」のセリフを地で行く展開に。

日本では「ゴジラ(中)」が原発巡りし、行く先々で急速に進化。「ゴジラ(大)」に。
※ 急速に進化すると、骨が追い付かないとか、歩くのが困難になるとか、そういうのはナシで。

いつもの熱線も吐いて、あちこちを被爆地に。
日本中に夜の闇が広がっていく。電気がつかないという意味で。

先に襲われた地域から逃げてきた人を「被爆者だから」と避けていた人も、自分も同じ目に遭って同じことを言われる……。

何もかも失ったことで、怖いものがなくなった人類の反撃が開始。
となればハッピーエンド・コース。

電気もなく、食糧も輸送されず、残骸の中で座り込む都会の人々の映像で終わる。
となればバッドエンド・コース。

真ん中は、原発というごちそうを平らげたゴジラは、別のえさ場に向かっていく……。

……ってなものを考えてみた。
う~ん、見ても楽しい気分にならないな。

誰かが作ったものを見て、思うままに感想を書くのは簡単ですが、自分で新たな物を構想するのは大変ですね。