メモ書き

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ゴジラで振り返るバブル崩壊

「記録」として楽しむゴジラ』と題して書いてきたゴジラ映画の感想の続き。

1984年の『ゴジラ』と1989年の『ゴジラVSビオランテ』は先に見たので、その後からになります。

そんなに特撮も怪獣も好きじゃないのに、ここまで振り返れたのは、映画が2時間ないのと、流れがわかってるからかも。

流れを起承転結で言うなら、「起」がゴジラの出現または生存状態の確認、「承」が関係者の動き&ゴジラの破壊、「転」がゴジラと何かの対決、「結」が休戦状態に、かな。

この流れを繰り返すだけなら、日本列島に核の食事をしに来て、海に帰って寝るの繰り返しでもいい気がしてきた。
下手に凍結や火山に落とす、埋めるとかするより。


今回の感想は、超能力少女・三枝未希シリーズの終わりまで。
この頃から、CGを使うようになっています。


ゴジラVSキングギドラ

1991年公開の18作目。

ビオランテという新しい怪獣を出したので、次も新怪獣かと思いきや、懐かしのキングギドラモスラメカゴジラと続きます。
かつての人気怪獣を使うことで、子供時代に見ていた人を呼び込もうとしたのかな?
なんか、昔の漫画のリメイクブームを想起します……。

ただ、キングギドラが出てきた頃のゴジラって、人類の味方ポジションでしたよね。
でもって、キングギドラは宇宙人が操る宇宙怪獣。
ヤツが出てくるときは、宇宙人もセット。
今回の映画でセットになるのは、宇宙人ではなく未来人です。

空飛ぶ円盤で飛来しますが、未来人。タイムトラベルものです。
タイムトラベルでは、その時代に未来人が来る理由が大事なんですが、本作は ちょっと……。
ここから先は、読むと映画を楽しめなくなるネタバレがあるので、未視聴の人は見ない方がいいかも。

* * *

未来人の目的は、ゴジラ誕生を阻止し、キングギドラを誕生させること。
操作が可能なキングギドラで日本を脅し、将来の大国を……という感じ。
日本が“将来の大国”と言われると、現在では「んなアホな」ですが、バブル期の買い占め日本では、想像されうる未来だったのかも。

今シリーズにおけるゴジラの誕生は、ビキニ環礁の核実験により、近くのラゴス島にいた恐竜が怪獣化したというもの。
個人的には、『メカゴジラの逆襲』のときと「恐竜」の発音が違うのが気になります。

そのゴジラ化する恐竜を他の場所に移し、代わりに超音波で操れる未来のペットを島に残すことで、キングギドラを誕生させるのが未来人の計画です。
ゴジラの転送先はベーリング海
しかし、そこでも原潜の事故があり、結局はゴジラ誕生へ。
未来人の「この時代は、どこにでも核がある」という言葉は、核が拡散していることへの批判……。

恐竜時代のゴジラを守護神扱いし、あとでゴジラに自分のビルごと破壊される企業のトップに、人の都合で恐怖の対象になったり、子供の味方にポジションなったりするゴジラの悲哀が込められている……。
そう書くといい感じですが、突っ込み始めたらアレな内容です。

根本的な問題として、未来人が1992年に来る理由がないもの。
1992年の人間を同行し、1944年に飛ぶ理由が「ゴジラになる恐竜の目視確認」というのは弱い。
それだけのために、1992年の人間に多くの情報を与えるんだから、バカだとしか思えない。
転送先も工夫の仕様があるし、そもそも転送装置があるなら、キングギドラは要らない。
使い方次第で、より簡単に日本を脅迫できるでしょう……。

それなのに、彼らは1992年に降り立った。なぜか?
答えは一つ、そうしないと観客に説明できないから。

気になる点は、他にもあります。
まず、過去に連れていく1992年の人間の選別。
ゴジラ誕生」の著者、ゴジラを感知する超能力者、あと恐竜博士……。
誰も、その恐竜を見たことが無いメンツ。

見たことがある人を連れていけない理由は、同じ人物が2人も同じ時代にいてはいけないというお決まりのヤツ。
しかし、敗北したキングギドラを回収したのは未来で、サイボーグ化して過去に戻ってます。負けて海に沈んでいるキングギドラと、サイボーグ化したキングギドラで、二頭いることに……。おいおい。

というか、島には他に大きな恐竜なんていないんだし、確認する必要がないよね。
最初から1944年に行けよ。

あと、未来人なんて怪しげな連中に同行させるのを簡単に許可しすぎ。
それは過去作で宇宙人がやってきて、平和的な交流を装ったときもだけど。
こういうときだけ、政治家の決断が早くて困る。

そもそも、2204年にもなって、怪獣が兵器って……。

そういう突っ込みをするとつまらなくなるので、お楽しみポイントを書いていきます。
まず、矢追純一さんが出ています。チャック・ウィルソンさんも。
当時の彼らを知る人にとっては、「うわぁ、懐かしい」となるかも。

子どものころ、よくテレビで見た人を大人になってみると、よくわからない楽しさを感じます。
月刊ムーの編集部が映ったときも、妙なワクワク感がありました。

当時の流行が垣間見れるものとしては、ターミネーターみたいなアンドロイドでしょうか。
ターミネーター1984年の映画。
見てないけど、そのパロディは幾つか目にしています。
バック・トゥ・ザ・フューチャーは1985年の公開。
1992年の本作に、結構な影響を与えたのかも。

ただ、最大の驚きは、都庁がゴジラよりも大きいこと。
転送後にゴジラ化した方が大きくなっていると言っていましたが、それでも都庁の方がデカい。
ゴジラがビルより大きくないので、なんか迫力に欠けます。

都庁の高さは243m。
デビュー当時のゴジラは50mなので、約1/5都庁。
本作で100m級になっても、1/2都庁もない。全然小さい。

怪獣は人間の力では太刀打ちできない存在で、そのため怪獣VS怪獣だったのが、人間側の兵器が登場するようになったのも頷けます。
建物の高さというビジュアルで、怪獣よりデカい存在を生み出せることを証明しているのですから。このデカさは、物体的な意味と同時に、存在的な意味にもなるでしょう。
まぁ、今回は未来人が関与してますが。

一方で、兵器を扱いきれていない例ではないですが、先に書いた原潜事故も現実では起こってるんですよね。
ソ連の658型潜水艦K-19、K-219。ロシアのクルスク。アメリカのではスレッシャー。
検索すると、出てきます。
詳しく知らないので、言及しませんが。

 

ゴジラVSモスラ

1992年公開の19作目。
インディ・ジョーンズレイダース 失われたアークは、1981年の公開。
と最初に書いてしまいたくなるような、遺跡の探検シーンがある本作。

RPGの定番になってるけど、ああいうパズル遺跡って、モデルとかあるのかな?
よく見るけど……。というか、作ってみたいよね。

本作を一言で言うなら、モスラ・メドレー。
例の小人が、ことあるごとにモスラ絡みの歌を歌います。
前に聞いたことがあるのを3曲ぐらい。
個人的には好きなんでいいんですけど、歌ってる間は他の人の会話とかないので、物語的な進展は ないわけですよ。そのうち、眠くなってきてしまい……

人間側の物語は、復縁話が主軸になります。
ハリウッドが好きそうな感じの「危機によって夫婦仲が戻る」ってやつ。
個人的には嫌いな展開です。
皮肉めいたやり取りを最初に見た後、「あぁ、元サヤパターンか」という気分に。

当時の時代背景として注目したのは、オゾン層の破壊、森林伐採、地球も生命という発言。
ゴルフ場の建設と、それに反対する環境保護団体。
ゴルフ場ってあたりに、個人的にはバブルっぽさがあるなと。

自然破壊に対して、「地球が怒っている」というわかりやすい台詞がありました。
バブル崩壊期間は1991年から1993年らしいので、ちょうど真ん中。
撮影開始前に脚本は出てきていたでしょうから、バブルで好き勝手やっていたことへの批判みたいなものもあったでしょう。

あと、気になったのはジャングルを進む中での一言。
水筒の水を飲む同行者に、「水分は無暗に取るな、疲れるだけだ」と言うシーン。
言っている側はサバイバルのプロ的な顔をしていますが、今見ると部活動における「水分補給をするな」論を思い出します。
でもって、会社員の「社員研修でサバイバル訓練もしましたから」発言に、根性論の全盛期を感じました。
「モーレツ」言ってた人が、トップに立った時代なんでしょうね。

戦いは、攻撃型モスラとでも言うべきバトラが加わり、途中から蛾チームとゴジラに。
モスラの触覚からビームが出たとき、ちょっと驚きました。
ずっと、糸が吐ける幼虫形態の方が有利と思っていましたが、成虫形態での鱗粉による熱線反射と、先の触覚ビームがあれば、飛行能力と相まって以前より強くなった感がありました。
ただまぁ、キングギドラのように熱線で羽を破られるようなことがないのは、鱗粉以外に事情がありそう……。
着ぐるみ的に穴があけずらいとか、そういう描写は避けたい的な……。
だってほら、悪役ポジションなキングギドラと違い、モスラは平和の使者ですし。

戦い方としては、バトラの観覧車アタックは、物を使うことを覚えたという点で、印象的でした。今後も、使える建物は使ってほしいです。
そりゃもう、怪獣の武器になりそうな建築物をリストアップして渡したいくらい。
というか、バブル期に建てられた“維持費だけかかって、要らないハコモノ”を思うと、怪獣が建物をうまく使うのは皮肉かもね。

話は変わりますが、卵の輸送シーンは、キングコングを思い出しました。
あのときも金儲けのために輸送してて、途中で切り離したような。歴史は繰り返す、ですかね。

 

ゴジラVSメカゴジラ

1993年公開の20作目。

キングギドラ戦の残骸、メカキングギドラの頭部が映し出された瞬間、メカゴジラの誕生として わかりやすいなと思いました。
どうせなら、キングギドラの次に公開していれば、続きとして見やすかったような……。

本作の感想を一言で書くなら、「なぜ、ラドンをタイトルに入れないのか?」です。
本作、ラドンが出てきます。ミニラじゃないですが、子供のゴジラも出てきます。
でも、タイトルにはありません。

ドラマ部分では、ベビーと呼ばれている子供ゴジラ周りが多いですし、そのベビーと意識的に繋がっているのはラドンなのに……。

ゴジラ映画では「三大怪獣 地球最大の決戦」「怪獣総進撃」「怪獣大戦争」に、ラドンが出てますが、タイトルには入っていません。
子供ゴジラの場合は「ゴジラの息子」と、初登場時に存在がアピールされています。なのに、ラドンときたら……。

なもんで、ラドンや子供のゴジラが出ることを知らずに見ると、頼んだメニューと違うものが出てきた気分になります。
タイトルから、メカゴジラとの戦いをガンガンしてくれそうな期待感を持ってると、「おや? 中身が違うぞ」になるという話。

ゴジラメカゴジラの戦いもありますが、エネルギーが逆流して故障して停止とか、バトルとしては白ける展開……。
まぁ、メカだから仕方ないけど。
メカゴジラの性能に関しては、旧作よりもスーパーXの系譜にある感じで、初戦は圧倒的な無敵感がありました。

後半でラドンを倒し、ゴジラも……となりますが、あのラドンのエネルギー受け渡して死亡は、あまりに ご都合主義的と言うか何というか。
ラドンがそうする理由って薄いよね。
ベビーに頼まれたからって、そこまでするのかという……。

一通り気になる嫌な点を書いたので、興味深かったところを書いていきます。
まず、高島親子の会話。役者の話ね。
「お前で大丈夫か」と親に言われる息子に苦笑。

メカゴジラの操縦者に選ばれた高島息子が、武術の稽古でコテンパンにされるのを見て、操縦と何の関係があるんだ。ブラック企業の研修かなと思っていたら、後半に有休消化云々の話が出てきて、なんか楽しくなりました。
高島息子の役は、プテラノドンしか頭にないような、興味のあるもの以外は無視するタイプなんで、アレなんですけど。

個人的に良かった点は、子供ゴジラを調べることで、第二の脳があるとわかったことでしょうか。
生物学的アプローチから、弱点を探るのは良い発想だと思います。内容は、どうあれ。

子供ゴジラの赤い目とか、離れたくない時の服の袖掴みなど、言葉を話さない怪獣の気持ちを表現する動きがあったのは、台詞ですべてを語ろうとする脚本にはない良さがあった気もします。
最後の取って付けたような「命の有無が勝敗を」とかよりも。
というか、搭乗者には命があるだろうに。

当時の映像として興味深かったのは、逃げ惑う人々のジーンズに、上着が入れられていること。ジーンズにイン派が多いんですね。
あと、パソコンが古い。デカい。厚い。

ゴジラ用兵器として開発された一号機がガルーダで、失敗作扱いとして出たとき、いつか出てくるだろうとは思いました。
でもって、形状的に妙な予感も……。
そして、スーパーメカゴジラという単語が出たとき、私の頭の中ではZガンダムの主題歌が流れました。森口さんの方。
まんま、スーパーガンダムですね(ガンダムMk-Ⅱ+Gディフェンサー)
なお、Zガンダムは1985年の作品。

超能力研究室みたいなところで、ピラミッドパワーが見れたのも良かったです。
景気が悪くなると、オカルトが流行る説を思い出しながら見てました。

京都 清水の舞台など、ゴジラの観光案内も、なかなかいいアングルでした。
私より観光名所を巡っています。

 『ゴジラVSスペースゴジラ

1994年公開の21作目。

三枝さんが、ショートカットになってて、コレじゃない感が強い序盤。
イヤリングの揺れで超能力の発動を表現してるのを見て、「まさか この演出の為に髪を切らせたんじゃないよね」と思う中盤。
三枝さん、遂に恋しちゃうのかな? 男に「目を閉じて」って言ったよ。キスするのかな? と思った終盤。
そして、目を閉じて見せたのは、子供のゴジラの映像で、「えぇ……」な感じに終わった映画でした。

さて、三枝さんのことを語ったので、あとは適当に流します。
この映画の感想を彼女以外で語るなら、「真顔でモゲラ」でしょうか。
大の大人が真顔で「モゲラ」を連呼してて、なんか可笑しかったです。
兵器に、そんな怪獣ライクな名前を付けるなよ。モグラみたいな見た目だからって……。

Mobile
Operation
Godzilla
Expert
Robot
Aero-type
の頭文字で、モゲラ。
辞書で調べて、使えそうな単語を並べた感が……。

冒頭でドリルが出た時点で、地中に潜って活躍するのを期待しました。
嘘です。地中に潜って、水道管を破裂させるか、ドリルが回転したら、その反動で本体が回るのを期待しました。
まぁ、そうならないのは承知していますが……。

なのに、初戦が宇宙ってのはナシでしょう。
宇宙じゃドリルもないだろうにというか、姿勢制御も大変じゃないのか、あれ。


戦いでは、ローラーとか、武装が複数あってよかったですが、あの顔のデザインは何とかならなかったんでしょうか。ビックリドッキリメカじゃないんだから。
シリアスさが一気に吹っ飛びます。

でもって、いきなりパイロットはないよね。
島で暮らしてたオッサンを乗せるより、開発中のテストパイロットとか、そういう人の方がねぇ……。操縦方法も覚えないといけないし。

でもって、あのオッサン。気難しいけどできる人かと思いきや、そういう描写よりも迷惑な人として映ってることが多くて、老害の文字が頭をよぎりました。
使われる部下が言う「上司を気にして、いい仕事ができるか」は名言ですね。軍隊じゃNGですけど。
何というか、ここ数作のブラック企業体質な組織への反論と考えると、面白いという意味での名言です。

バブル崩壊前は何でもうまく言っていたので、上司に「はいはい」言っていた部下たちが、「違うだろ」と言い始めていたのでしょうか? 現実でも。

タイトルになっているスペースゴジラは、ビオランテモスラと戦った際、宇宙に散ったゴジラ細胞がどうたらこうたらで、ああなったという説明でした。
最後に、「宇宙を汚せば、第二のスペースゴジラが」と、押しつけがましい警告がありましたが、宇宙なんて放射線だらけでしょう。恒星が核融合してんだから。
そういう意味じゃ、汚すも何も、汚れてんだよ、最初から。

スペゴジは、デカい水晶を背負ったデザインだったので、あの水晶を付けたまま、どう戦うんだろうと思っていたら、地上に降りた瞬間に縮むんだもの。ガッカリです。
その後、バリア的に出したり、地面から生やしたり、謎能力で戦うんですけど、イマイチ奴の能力がわからないので、バトルとしては微妙な感じでした。
能力解説の無い異能バトルみたいな。
まぁ、ちょっと内容に飽き気味で、ぼんやり見ていたこともあるかも。

福岡タワーで宇宙エネルギーを集めという話になったときは、こりゃ超能力ゴジラやんけと、萎えました。
三枝さんのサイコキネシスは、奴の能力の伏線だったのかなぁ~と、見終わってから思っています。。。
今回も、超能力研究所ではピラミッドパワーをやってて、前よりオウムっぽくて大丈夫かなと心配に。地下鉄サリン事件は、この映画が公開された翌年なので、アレですけど。

怪獣が福岡の街を闊歩していましたが、2016年の博多駅前道路陥没事故を知っていると、「よく歩けたね」という気持ちになります。

他に気になったのは、毒を持つ蜘蛛をナイフで刺すシーン。
「殺される」と思ったら、傍にいたヘビやサソリだったってシーンは、何が起源でしょうね。よく見るシーンなので、気になります。
そういや、一時期タランチュラという単語を頻繁に聞いていたような。

島で暮らすオッサンのシャワーシーン、血液凝固剤、煙幕地雷、脳波マシーンで気を失う三枝さんと、バース島では印象的なシーンが幾つかありました。
地雷に関しては、子供ゴジラが踏むんだろうなと思って見ていました。
大きいゴジラが踏んだ後は、煙幕モクモクじゃ銃の狙いも定まらないだろうにと、オッサンの評価に疑問符が。こいつ、使えないタイプのオッサンじゃ……と。

パシフィック何とか(VSキングコングに出てきたパシフィック製薬じゃない)にマフィアがいて、さらわれた三枝さんを救出するために侵入するときは、デキる人の動きをしてたので、どっちだろうという目で追い続け、最終的には迷惑な人という地位に落ちつきました。

定番の逃げ惑う人々では、松村とかはいいとして、一般人にロン毛男子がいたのが驚き。
ゴーゴー時代にもいた感じの黒髪ロン毛です。
この時代にもいたんだなぁ~と眺めながら、ゴジラの九州観光を見ていました。
それでふと、ゴジラが歩くのは、被爆体験を共有するためだったら、相当なアレだなと。

放射能の被害にさらされていない地域に行き、「同じ苦しみを味わえ」とばかりに歩く。
その方が分かり合えるだろう。
そんなメッセージだったら、という話。

だからって、三枝さんが主張する「ゴジラを好きになる」には、無理がある。
街を壊してんだもの。
お花畑思考の代表に彼女がなったのは、悲しいような、必然なような……。

子供ゴジラが出てくると、ゴジラは味方みたいになり、終わりに向かっていく。恐怖の対象から外れたときに、シリーズが終わる。そんな感じがありますね。

 
ゴジラVSデストロイア

1995年公開の22作目。

タイトルにデストロイアとあっても、「破壊者的な意味で、付けたんだろう」と思って見てみたら、1作目のアレで複雑な気分に。

なんか、あの1作目と世界観が繋がっていてほしくなかったような……。
ほら、タイトルごとに世界観が違うじゃないですか、ゴジラって。
映画によって、キングギドラの操縦者が違うように。

このテレパシーだの、テレキネシスだのやってる世界と、あの1作目の世界を繋げて欲しくない気持ちがありました。
怪獣島云々言っていた辺りの作品となら、繋がっていても別にいいですけどね。

超能力作品そのものを否定する気はないですが、フィクション要素は限定した方がいいというのが個人的な考え。
ゴジラという大きな嘘をつくなら、他にはリアリティを持たせてほしいのです。もしくは、その大きな嘘に沿った嘘にしてほしい。
でないと、何でもありの“めちゃくちゃワールド”になってしまう。

ついでに、いきなり40年前の白黒映像で、眼帯の博士を見せたら、初見の人はビジュアル的に、彼をマッドな人と捉えてしまうのではないか。
そんな懸念もありました。

まぁ、そういう懸念も忘れるほど、個人的には退屈な映画でした。
何ででしょうかね、まるで緊張感が無いんですよ。

バース島がBurstして、ゴジラに変化が起こってメルトダウン危機。
そう聞くと、大変な自体だと思うんですけど、いつもと違って赤いゴジラが、いつものように街を破壊。
場所が香港でも、「今回は海外か。頑張ったね。面倒な看板が多い都市なのに」と。
そんな感想に。

これよりなら、ヘドラ戦で鉄塔が壊され、電気を使う作戦が実行できない云々で、あたふたしている方が、遥かに画面に緊張感があって、退屈しなかった。

デストロイアに関しても、もっとも緊張感があったのは、エイリアン映画の真似みたいに、マスコミ女性を襲ってるところ。
あとは、そのマスコミ女性が解説役になり、「あれが、デストロイアの成長しきった姿」とか、一目見て断言できるほどの不思議な役回りに。
未知の生物の成長具合を、何で断言できちゃうのさ……。
明らかに説明台詞過ぎて萎える。

他にも、小さなデストロイアが合体して巨大化しただけでも、展開的に「うわぁ……」だったのに、その「集まって巨大化」まで解説しちゃうんだもの。
あのシーンを見て、そんなこと言えるかな、普通。
「何が起こったんでしょう。突然、大きな生物が現れました」の方が、リアルってもんじゃない?
そういうところを含めて、現場に混乱がないから緊張感のカケラもない。
予定調和の変化を解説されている気分で、白けるのです。

ちなみに、スライムみたいな単細胞生物でもないのに、集まって巨大化はない。いくらフィクションでも、嘘が下手だ。
そういう意味での「うわぁ……」です。

書きたい不満点は書いたので、お楽しみポイントを少し。
まず、三枝さんのサングラス。
前作でも、変なサングラスを付けた野郎が二人いたので、「この時代のサングラスって……」となりましたが、その男の影響だと考えると微妙な気持ちに。

スーパーXIIIが出てきます。
もう出ない気がしていたのでワクワクしましたが、翼があったので妙に残念な気も。
ロマン兵器っぽさが薄れたので。
今回は武器が冷凍系に特化し、遠隔操作ではなく、搭乗型に。
「これで来年度の予算もない」という一言に、バブル期が終わっていることを感じます。

日本の学生がインターネットでデータを送ってきた発言がありました。
そのあとに出てくるのは、たぶんMOディスク。
公開年はMicrosoft Windows 95 のリリース年です。
ようやく、データが「磁気テープ」の時代が終わったんですね。

当時の海水浴場と、水着&サーフボードが見れます。
なんか、古臭く感じました。デザイン的に。

東京ビッグサイト東京国際展示場)が壊されるシーンがあります。
せっかく壊されたのに、逃げ惑う人がいないので残念。
「来年のコミケ、どこでやるんだよぉ」とか言ってほしかった。
まぁ、当時は晴海でやっていて、ビッグサイトは公開翌年から らしいですけど。
あと、あの建設中の建物は、フジテレビの本社ビルでしょうかね。
1996年に完成してるようですが。

ゴジラ映画には、科学者ポジションの人が出てくるわけですが、この作品では一人で研究をしている感じじゃないのが、良かったですね。
研究者が一人で成果を出す時代じゃない。というか、そういうもんですよね。
一人で何でもやる天才の時代は、終わった気がしました。

台詞のリアリティという意味では、何かの賞を受賞した博士に対し、「(その研究は)私たちの生活に、どう役立つのか?」というマスコミの質問は良かったかも。
「お前らは、どうよ」って、突っ込みたくなりますけど。
「マスコミは感情的で独断的」というセリフも、よく書けたなぁ~と、広報展開を考えると思ってしまいます。