メモ書き

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お前ら、自分ファーストだろ?

身近なところでは、歩行者ファースト
海の向こうでは、アメリカ・ファースト
東京では、都民ファースト(ちょっと違う)

それぞれ、何が最優先か、第一主義は何なのか、言うようになった。
でも、結局は自分ファースト。

自分にとって都合のいい側にまわって云々……。

というのを子供を見ていて思った。

「XXが叩いた」
「▲▲がバカって言った」
「これは、〇〇の!」

うんざりするほど、聞く言葉。
たまには違う言い回しをしてほしいくらい。

でも、叩かれた原因、バカと言われる原因を作ってるのは、言われている方にあることも……。
ちょっかいを出した末に叩かれ、先にバカにしておきながらバカと言われた言う。

その辺のことを指摘されても、自分が「痛い思いをした」「不愉快な思いをした」というアピールしかしない。
言い換えれば、いつだって「私が配慮されていない問題」を主張しているのだ。
その姿勢に、ブレない自己中心っぷりを感じる。

それが、自分ファースト。

「相手の身になって、考えなさい」

そう言ったところで、同じことを繰り返す。

誤信念課題で言うところの「他者の心の状態」がわからない過程の子なら、それは仕方ないのかもしれない。

でも、大人になっても変わっていない人を見ると、結局は自分ファーストであり、ゲーム理論における最適反応を……。

面倒になったので、この話は終了。

* * *

それにしても、創作物に出てくる子供は、物語上の役目を果たすため、いきなり訳のわからないことを言ったりしないし、無意味な言葉を繰り返したりはしない。
急に何かのモノマネもしないし、根拠もないのに自分の所有権を主張したりしない。

そんな理不尽なことをしていたら、物語としての機能が損なわれるので無理もない。

だから、仕方ないのだけれど、そういう“作られた子供像”ばかり見て、妙な幻想を抱いたまま子供を知った気になり、その幻想を持って接するのはアレだなと思ったという話。