メモ書き

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ロクな政治家がいないって言うけれど|もう選挙やめようよ

「ロクな政治家がいない」と言う人の中には、彼らが何をしているのか、注視していない人もいる。

よく見ているという人でも、発言だけで政治家としての資質を判断していることも。

自分が理解できる範囲で判断するなら、「失言」というのは明確なポイントかもしれない。
映像の切り取りによって、ミスリードするよう加工された「失言」でなければ。

そもそも、発言だけで人の資質は、どこまでわかるのだろうか?

「いい人」が、必ずしも「いい政治」を行うわけでもあるまいに。

例えば、「みんな、平等に」と思う「いい人」がいたとして、その人が実施したのが極論的な「同一賃金」だったとする。
頑張った人も、そうでない人も、能力のある人も、そうでない人も同一賃金。
きっと、やる気が出なくなり、誰も作業しなくなるだろう。

「報酬には文句を言わず、自分がやれることを精一杯」なんて規範だけで、労働を成り立たせるには、強力なマインドコントロールが必要……。

じゃあ、「悪い人」が「いい政治」を行うのだろうか。
そういう話になったときに思い出すのは、海賊船の中が会社のようだったという昔話。

ギャングにも規律があり、統制がとれていなければ、利益を上げるための悪さもできない。そんなことも思い出す。

だから、「悪い人」を推すというのではない。あくまで、資質の話。
詐欺師は悪い奴だが、賢さがいるというのに似ている。

組織を束ね、機能させるのは、人徳なのか、恐怖なのか、利益なのか……。
小規模の組織なら、トップの人徳で人は動くかもしれないが、トップと接する機会もない組織では、インセンティブが人を動かすのではないか。
であれば、求めるべき資質は何か?

ついでに言えば、防犯対策のために元泥棒の意見を仰ぐこともあるので、かつての「悪さ」をどこまで引きずるのかも問題。

そういう意味で、政治家の資質は測りづらい。
これは、私の見識の無さによるものかもしれない。知らないから、推定できないということ。

自分は違うという人には是非、ダニング=クルーガー効果を調べてほしい。

と、ここまで書いて思ったが、見識を深めたところで、選挙における一票の重みは、知恵者もバカも一緒。
どんなに調べ、どんに熟慮し、一票を投じても、その効果は何も考えてない一票と変わらない。
そう、自分の利益になる方に投じた一票と変わらないのだ。

では、政治に関するテストをして、その点数に見合った票を入れるのはどうか。賢さが票数に繋がるのだ。
きっと、呆れるくらいの金額がテストに費やされ、新たな天下り先が増えることだろう。

それよりなら、多くの税金を納めている人ほど票数が増える方が、わかりやすいかもしれない。現役世代が有利になるかもしれないし……。
まぁ、業界格差が広がるだろうし、金持ち優遇は否めない。

入れる人がいる前提で書いてきたが、いない人はどうする?
カウントされない白票を投じ、人の手間を増やすために選挙に行くべきか?
そんな人のために、マイナス一票を用意すべきか……。

こんなことを考えても、もう仕方のないレベルになった気もする。

無投票当選を目にすれば、そんな考えにもなる。

立候補者が少なければ、票を争うこともない。

そりゃ、変な党から出馬したところで、負けは目に見えているのだから、誰も無駄なことはしなくなる。一強になったら、選挙にはならない。

かといって、それを防ぐために変な党に入れ、万が一にでも力を持たれたら、それこそ馬鹿げている。資質もクソもない。

この状態を目にして思ったのは、政治家に対する根本的なイメージの問題。

「政治家なる人って、どんな人?」

そう訊かれて、親も政治家のXX、胡散臭い人、変わった人、有名人、宗教のXX。
そんな答えが出ているのだとしたら、庶民が思う「まともな人」の割合は、いかほどのものだろう。

立派な人が目指すべき職業でない限り、優秀な人が出てきにくい状態にあるのではないか。

そんなことを考えると、別の選び方を考えるときではないかと思てくる。
選挙は民主主義のスタンダードみたいな話は、もういい。

これからは、新たな選出方法として……と、具体案を書けたらいいが、それも思いつかない。

取り敢えず、もう地方に選挙は要らない。
人口減少が著しい地域で、優秀な地方議員が出ると思えないという意味で

地方の行政に詳しい人を議会にというなら、いっそ役所のステップアップ・コースにでもすればいい。

名前の連呼と、出身地への愛。
それしかアピール方法がない人に、「あの人の地元、ここだから」と投票する。
そんなオラが村の代表選びは、虚しい。

それよりなら、長年にわたって地元の行政に携わってきた人が、その地位に就いた方がという気持ちがある。