メモ書き

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占いに洗脳されていた話

占いに洗脳されていたと言っても、何から何まで占いで決める生活を送っていたとか、そういうことではないです。

「××占い、やってみた?」と言われれば、「どれどれ」と遊び半分でやってみるくらいで、「当たってる! これは真理だ」なんて思ったりはしません。

「占いって、どんなんだろう?」という好奇心で、占ってもらったこともあります。
岩盤浴って、どんなんだろう?」「キルリアン写真て、どんなんだろう?」と、同じ感覚でした。

学祭で“占いができる”という人に占ってもらって、その結果を会話のネタにしたこともあります。

あとはまぁ、雑誌の占い欄が目につけば、自分が該当する項目を読んでみるとかですね。

そこに、結構な確率で「飽きっぽい」とありまして、無意識レベルで「自分は、飽きっぽい」と刷り込まれていたような気がします。

知人に「自分は、飽きっぽいから」と何気なしに言った際、「えっ? そう?」と意外そうに返され、「あれ? 飽きっぽくないのかな」と思い直しました。

そういえば、占い以外では「飽きっぽい」という評価を下されてないし、聞いてもいない。

そりゃ、誰にでも「飽きっぽい」要素はあるでしょう。
言ってしまえば、バーナム効果です。

別の見方をすれば、同じ刺激に対して、耐性を持たずに「飽きない」のは変です。

占いには「自分を見つめ直すキッカケ」「注意を促すキッカケ」という側面もあるという主張を耳にします。
「目や肩に注意」と言われたから、「その辺に気をつけて元気」という人もいるかもしれません。

それはそれで意義があるのでしょうが、遺伝という観点で気をつけるべきポイントを見た方が、より確かでしょう……。

この手の話をすると、「本当に当たる占い師」なる存在を持ち出し、それは桁違いだという展開が待っていますが、それは脇に置いておくとします。

今回の件でメモしておきたかったのは、繰り返し同じ主張を聞くデメリットです。
少数派が一貫して強い主張を持ち続けることで、多数派に「自分たちの主張が間違っているのかも」と思わせる『モスコビッチの方略』にも似た危険性。

血液型の例でいうなら、A型はXX、B型はXXという枠組みに、無意識レベルで押し込められている可能性です。
そのデータに妥当性が無いとわかっていても、いつの間にか思考を侵食されている……。

「あの人はA型だから、XXだよね」

そういう思考に至ってしまう背景には、カチッサー効果があるのでしょう。

人は、考えるのが面倒なのです。
考えるのが面倒だから、「XXだから、XXだ」と思考をパターン化し、楽をしようとしている。

「価格が高いものは、いいものだ」と、商品ではなく価格で判断する。
「限定品だから、今しか買えない」と、必要じゃないものを買う。
「専門家がオススメしていたから、間違いない」

上記は、商品の品質ではなく、別の要素で商品を判断している例です。
それと「あの人はA型だから、XXだよね」は大差がない。


ということを「自分は、飽きっぽいから」「えっ? そう?」のやり取りから思ったってだけの話です。