メモ書き

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ドラマ「Silicon Valley(シリコンバレー)」を一気見した感想

HBOのドラマ「Silicon Valley(シリコンバレー)」を一気見した感想です。

なんか、技術者系のドラマでも見るか。
そんな気持ちで視聴開始。

ストーリー概要すら見ていないものの、技術者が主役みたいな話を聞いていたし、どこが舞台がわかるタイトルなので、映画のスノーデンやソーシャル・ネットワークみたいなイメージを最初は持っていました。

なので、下ネタ全開のコメディに少し面喰いました。
あと、ゲロを吐くシーンが多いので、ものを食べながらの視聴はオススメしません。

見たのはシーズン5まで。
アマゾンプライムで、まずは吹き替え版でシーズン3まで。
その先は字幕版しかなかったので、シーズン4~5は下品な単語を読むことに。

字を読むのが面倒だから、吹き替え版で見始めたこともあるんでしょうけど、字幕で「ケツ」とか「小便にキス」とか読まされると、なんか虚しい気持ちになります。
自分は、何を読まされているんだろうと……。

そして、向こうの人は「ケツ」が好きなんだなと。
子供が「うんち」を連呼するレベルで繰り返してます。まぁ、コメディだからなんでしょうけど。

そんな作品なので、スタッフの出入りの激しさや怒る人の沸点の低さ、幼稚な仕返しを見ては、SUITを一気見した時と同じ心境に。
薬をやったり、車をぶつけるのを見ては、映画のウルフ・オブ・ウォールストリートを思い出していました。

とはいえ、技術的な話がストーリーの主軸。
圧縮技術に優れた会社が、資金を援助を受けたり、止められたり、イベントでプレゼン対決したり、ヤバいことに手を出したり、事業を妨害されたりと、そんな話。

ただ、話が進むほどに「圧縮技術の凄さ」を売りにせず、楽曲の著作権確認アプリで売ろうとしていたことに、「いくら何でも、気づかないわけないよな。技術者が」みたいな気持ちに。
まぁ、それはいいでしょう。コメディだし。

問題は、カタルシスが得られないこと。もちろん、これは個人的な話です。
「凄いものを作るぞ」⇒「トラブルがあった」⇒「乗り越えてリリース」⇒「やったぜ」
となると、王道ではありますが、スッキリします。
しかし、成功してしまっては、話としては終了です。
IT業界は変化が激しいので、数年の天下で終わることもあるでしょう。だからといって、栄光からの転落は時間がかかり過ぎるので、やはりドラマとしては技術面以外の問題で、話を盛り上げることが多くなってしまう。
権利がどう、株式がどう、コミュ障が災いして等々。
結果、主人公たちが、なかなか成功しない金食い虫に見えてくる……。

そういう事例は多いのでしょうけど、ドラマに爽快感を求めると、なんかスッキリしない。
登場人物たちの行動原理というか、考え方がブレまくっている印象もあります。人間らしっちゃらしいんですが、もはや人格崩壊を起こしているくらいに感じる場面も。
「君、そんなキャラだった?」みたいな。

でも、楽しんで見れたのは、最初に吹き替えを見たからかも。
現実の世界では、怖そうな見た目の人が、声も低くて渋いということは、ありそうで少ない。しゃがれているとか、少し低いくらいが多い。
物腰が柔らかい人でも、声が低音で表情とギャップがある場合も。

その点、吹き替えは人物の性格に合った声と喋り方なので、「キャラ」としての強調が効いていて、大げさな芝居で笑わせるコメディという認識に。
それが「うまくいかない」のがスタンダードと思わせ、サクセスストーリーを期待してしまう自分に「これは、そうじゃない」と言い聞かせ、シーズン4以降の人格崩壊っぽさも、脳内で勝手に行われる吹き替えで違和感が最小限に。

どなたが担当しているのか知りませんが、ジャレッドのヒョロヒョロっとした喋り方、ローリーの独特なイントネーションは、キャラ付けとして面白かったです。


技術面に関しては、詳しい方じゃないので、「あれは違う」とか「よくできている」なんて言えません。
それでも、話は追えるようになっています。
囲碁をやったことがなくても、囲碁の漫画を楽しめる感じでしょうか。
あまり技術的な説明をしていない本作ですが、雰囲気でつかめるはず。
とはいえ、知っていた方が楽しいでしょう。

以下は、知らなくて「へぇ~」となったもの
・Pineapple(Wi-Fi 中間者攻撃)
・マイナーツァーゲンのカバン
・ケーゲル体操
・ロコのバジリスク問題
・ベビーシャワー
オルタナ右翼
・アンブレラ保険
・ドンキーパンチ
・いろんなゲイの種類
シリコンバレーにおけるクリスチャン
・アデロール

おや、技術的なものが少ないぞ……。
中には、台詞で一言だけというパターンもありますが。なんか気になったので検索しました。

印象に残ってる技術関連の話は「タブ派」と「スペース派」のこと。
コンパイルすれば同じ」というセリフがあるので、知らない人にも「些細なこと」アピールはできています。
私はプログラムをかじったことはありますが、今 触れているのはHTML(マークアップ言語)くらい。
なので、正確にはわからないところもありますが、揃え方を統一しないと、ソースとして見づらい。または、美しくない感じはします。HTMLでも。

そういや、「HTML」と書かれたTシャツをはじめ、序盤のギルフォイルは服装が面白かった気が。あの無表情もいいです。
彼のようなサタニストって、本当にいるのか知りませんけど、中二病の集団にしか見えなかった……。
あと、彼が「差別だ」と言われて、「俺はレイシストだ」という開き直りが溜まりません。

その「差別だ」を言ってるのは中国人のヤンですが、シーズン4以降は好き放題し過ぎなので、あれだよなぁ~と。
シーズン2の最初で「グレゴリーは死にました」と言ってる頃のキャラだったら、まだよかったのに。
アーリックの死を偽装とか、この頃から倫理のカケラもない一面が強く出て……。

昔、携わった東京の不動産屋で、「中国人は、毎週増える」と言われていたのを思い出しました。
一人住まいの賃貸契約なのに、向こうでは複数住むのが常識だと、知り合いを次々に呼んで住まわせ、キッチンを油まみれにするという……。
そして、最後は不法就労で強制送還。修繕費用や家賃も得られず、大家は泣き寝入りして、油まみれのキッチンを自費でハウスクリーニングに。
通称:東京ルールと呼ばれる取り決めでも、利用者負担になるケースだったはず。
国外に行ったら請求の仕様がないし、保証人もバイト先の店主とかだったりするしね。
同じ中国人でも、そういう迷惑じゃない人もいるけど、どうしてもインパクトが大きいのは問題を起こす方。なんで、いまだにイメージが悪い。私の中では。

話がそれたけど、個人的な お楽しみポイントは次の通り。
・何もしてないのに持ち上げられるビッグヘッド
・ギルフォイルVSディネシュ
・ダサいプラットフォーム、ブルゾン

……思ったより少ないな。
どの辺を楽しんでいたんだろう。
新しいインターネットの話題になってからは、「いつ、Winnyに触れるのか」と思って見てたけど、触れたら「新しい」もなにもないよね。
もしかしたら、その扱いをどうするのか。それが見たいだけなのかも。

あと、架空の大手IT企業「Hooli(フーリー)」って何の会社?
という素朴な疑問の答えが知りたかった。
検索? デバイス? スマホOS? 動画チャット? サーバー関連?
結局、全部だった。
名前的に、Huluがモデルかなとか、Appleベースなら検索ないよな、googleにしてはデバイスを作り過ぎだし……。そんな見方をしていました。

まぁ、読んでもどうしようもないメモを書きましたが、2019年には最終シーズンとなるシーズン6が予定されているらしいので、楽しみにしています。
ゲーム・オブ・スローンズの最終章と同じHBOなので、撮り直し騒ぎにならないことを祈りつつ。

あ、1話30分なので、見やすいです。

2000年代のゴジラが描いたもの

ミレニアムから、ファイナルウォーズまでの感想です。
今までのゴジラ映画の感想は下記の通り。

「記録」として楽しむゴジラ - メモ書き

続:「記録」として楽しむゴジラ - メモ書き

ゴジラで振り返るバブル崩壊 - メモ書き


う~ん、長かった。
2000年代のゴジラに関しては、世界観が続いてるのは釈さんが出てるやつくらいなので、見る順番を気にしなくていいのが特徴かも。
世界観としての共通項は、ゴジラが出現済みの設定。初登場は1作目がベース。

それぞれの制作スタッフの特色が出てる感じで、特にメインとなる女性には、作り手の好みが反映しているような印象を持ちました。
あと、演技がどうも……。


当然のようにネタバレな感想を書いているので、見ている人向けの文章です。
と言っても、まとまりなく書いてるので、誰が読んでも面白くないでしょう。

ゴジラ2000ミレニアム

1999年公開の23作目。
この頃、「ミレニアム」という名が付けられた商品が多かったなぁ~と思いながらの視聴。

冒頭、アンテナでの観測シーンから始まり、専門用語のオンパレードだったので、「今回は科学的な方面を強化しました」アピールを感じました。
とはいえ、海からやってきて、船が被害を受けるという“いつもの始まり”です。

本作では、ゴジラ予知ネットワークが存在するので、既に最初の登場は終えた世界観になります。

展開としては、ゴジラの出現と同時進行で、海底に沈んでいた隕石が浮上し、円盤となって飛ぶ流れ。
この円盤が岩石の塊状態で飛ぶ姿は、ヘドラの飛行形態みたい……。
いや、気のせいです。
で、岩石部分が剥がれた後は、「ナビゲーター(ナビゲイター)」という1986年の映画っぽいUFOデザインに。

コイツが生物としての形を持たないので、ゴジラに興味を持ってコピーしようとする。
そんな話。
名前は、宇宙怪獣オルガ。
本編では聞かなかった気がするけど、クレジットでは「オルガ」とありました。
たぶん、ゴジラ細胞を研究して分かった復元要素「オルガナイザーG1」からの命名でしょう。

ちなみに、コイツの動力源は光。
なもんで、今回の対決はエコ・エネルギーVS核エネルギー。

光が動力源なので、晴れの日に強い。逆に、曇ってると微妙。
対するゴジラさんは、天候に左右されない。
まるで、電力を安定供給できないエコ発電と何かのよう……。

コイツを一時的に弱らせたいなら、ヨウ化銀で人工降雨を……。
まぁ、降った後が怖いけど。

最終的には、やっぱりデカい生物の戦いになって終わり。

時代的なポイントは、パソコンの普及です。
VAIOのノートパソコン、iMac、MOディスクと、当時を思い出す懐かし品が次々に出てきます。
今でいうガラケーっぽい携帯電話が出たのも、シリーズでは最初かな。

冒頭でフィルムのカメラで撮影していましたが、個人的には既にデジカメを買っていたはず。
でもまぁ、まだ画素が全然ない頃なので、フィルムの方が色々と良かったんでしょう。

ゴジラのデザインに関しては、背中のゴツゴツが刺々しくなり、というか遠目だとサンゴを背負ってる雰囲気に。
目が可愛らしいので、リトルが大きくなった流れかなと、勝手に思って見てました。
熱線は、溜めて吐く感じになってます。

東海村に向かおうとしたとき、すぐに停止するよう働きかけるシーンがありました。
東海村jco臨界事故は、1999年9月。
この映画は、同年12月11日に公開。
事故を受けて変更するには日がないでしょうから、何というか。。。

ゴジラ対策としては、自分を攻撃する存在に向かってくるという特性を把握し、攻撃による誘導を試みているので、超音波で操るといった次元に比べればいいです。
今までは爆破系のミサイルだったけど、ゴジラ用に貫通型を用意したというのも、対策している感があっていいですね。対戦車ミサイルより凄いんでしょう、きっと。
人が持てるサイズの血液凝固剤を撃っていた頃が懐かしい。

ゴジラは人が生み出すエネルギーを憎む」「科学の暴走」「怪獣は、俺たちの中にいる」という聴き飽きたセルフが繰り返されるので、個人的には見ている時間が長く感じられる映画でした。

一番ワクワクしたのは、ゴジラの登場でも、街の破壊でもなく、阿部寛の登場でした。
出演者をチェックせずに見てたら、ヌッと出てきて驚きました。

あと、西田尚美さんが気になりまして、見た後に調べて白い巨塔の人かと納得。

 
ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』

2000年公開の24作目。
世界観の長い説明ナレーションで始まる本作。
その姿勢に、子供向けじゃなく、コアな層向けなのかなと思いながら見始めました。

その説明を簡単に書くと次の通り。
ゴジラの登場は1作目と同じものの、首都が大阪になり、原発が永久破棄され、プラズマ発電を開発するも、エネルギーに寄っていくゴジラによって破壊された世界。
まぁ、同じ日本ですけど、歴史が違うパラレルワールドとして、構築しなおしたんですね。

登場パターンは1作目と同じですが、白黒映像の使いまわしではなく、リメイク映像になっています。

ゴジラ映画のドラマパートは、ゴジラに翻弄される複数の人々という感じでしたが、今回は田中美里さんが演じる女性が、人間側の主役として物語の中心にいます。

ゴジラに上官を殺され、その遺志を継いだ戦う女性。
まぁ、「だから、何?」って感じなんですけどね。その設定が無くてもいい内容なので。

「怖い時こそ戦う」みたいな言葉もありましたが、そんな描写もなかったしね……。
手が震えているとか、恐れと使命との葛藤みたいなのもないし。
何より、かつぜつがイマイチなので、そっちにハラハラしてました。「科学技術」が言いにくそうで、大丈夫かなぁ~って。

彼女の良かった点は、腹筋運動後に起き上がる時の姿勢と、髪をストレートロングにしてなびかせた姿。個人的には。

その彼女の相手役ポジションに、秋葉原のジャンク屋にいる発明家がいるんですが、初登場は子供に手品を見せるシーンでした。
でも、そのからくりは小さなロボットで、彼女が種明かしをしたら、子供たちが「なんだ」と言って去っていきます……。
いやいや、手品よりロボットの方がすごくて、驚くだろ? このシーンで何を見せたいの? 彼女の洞察力? ロボットを作れる腕? もっと違うスカウトシーンにした方が、しっくりきたんじゃない?

でもって、彼がゴジラ対策の特殊機関に迎えられるわけですが、どうも某ネルフを彷彿と……。
まぁ、伊武雅刀さんに関しては、この映画の後に放映される2003年版の白い巨塔の印象が強いせいか、そのうち「財前君」とか言いだしそうな顔に見えて仕方なかったです。

この機関の目的は、ゴジラの抹殺。
真の目的は、エネルギーに寄っていくゴジラを消すことで、密かに開発していたプラズマ発電関連施設を見つからないようにすること。

抹殺方法は、マイクロブラックホールです。
ゴジラを倒す兵器は、ゴジラ以上の脅威になる。
その1作目のテーゼに対し、本作の科学者のノリは軽いです。使い終わったら、設計図ごと焼却と、後で言っていますが。

この装置を試験運用した際、時空の歪みができて、それ絡みでメガギラスの卵が……。
でもって、それを拾った少年が……となるのですが、その事実を知ってなお、あれを使おうとする辺り、赤字になるのを知っていても、GOサインが出された公共事業はするという……以下略。

個人的には、この卵を拾った昆虫博士と呼ばれる少年の親が気になりましたね。
母親は出て来るのに、父の話題も出て来るのに、その父は謎のまま。なので、そこが気になるのです。どうでもいいポイントですけど。
ちなみに、母親役は かとうかず子さん。
だからって、そのまんま東ではないでしょうけど。

メガギラスの卵のユニークなところは、大きな卵の周りに小さな卵が付いていて、その小さい方が孵化してデカい卵に栄養を持ってくる点。
デストロイアの集まって巨大化より、いいですね。
序盤では、小さな謎の怪獣に人を襲わせ、パニック映画にして恐怖心を刺激したい。
後半は、巨大な怪獣を出してゴジラと対決させたいなら、流れとしてはキレイです。

ただ、原始的なトンボなのは わかりますが、ヤゴからの脱皮。
尻尾でのエネルギー吸収は、まるでドラゴンボールのセルを……というのも、カップルの襲撃カットが、妙に思い出させるんですよね。

正直、前作もなんですが、前に何処かで見たのを見ているような感じになることがあります。まるで、好きな作品の良いシーンを集めてみました動画を見ているみたいな。
あと、怪獣映画からSFショーになったなという感じもあります。ドラマではなく、ショーです。

あと、マイクロブラックホールが好きになれない。
どの地点まで進むのか、その調整をどうしているんですかね、あれ。

ロックオンした場所までの距離を算出するとも考えましたが、後半は引力に引っ張られて落下中の発射ですしね……。
というか、燃料切れで落下って何? 人工衛星なんでしょ? 重力と遠心力の釣り合う場所に打ち上げたんじゃないの?

打ちあげたら、どこへでも撃てるみたいなことを言ってたけど、周回軌道によるんじゃないのかとか、色々と考えました。そういうこと、あまり詳しくないですけど。
あと、落下時に「摩擦熱が」と言っていましたが、大気圏突入時の熱は断熱圧縮。空気が押しつぶされることで起きるらしいですね。

とまぁ、不満点を書いたので、個人的なお楽しみポイントを幾つか。
逃げる人々ですが、渋谷にコギャルがいました。ガングロメイクです。
ルーズソックスも見れます。自然にいたのではなく、手配した感がありますけど。

他に気になるのは、バイク用リュックです。
なんて言えばいいんでしょう?
ハードシェルのバックパック? 一時期はやった金属製のアレです。
でもって、消費者金融の看板の多さ。アコムだらけです。

メガギラスの高速移動は、良かったんじゃないですかね。
スピード重視系の怪獣がいても、いいと思います。個性があってね。

グリフォン(飛行機)」をゴジラにぶつけた後、脱出した彼女が市民プールに落ちるのは、なんか可笑しかったです。
緊迫した映像が続いたのに、急に「市民プール」の文字と、そこにバシャーンと入る絵は、「彼女は無事だよ」アピール以上に、茶番劇っぽさを増していて好きです。一周まわって。

今回、原始的なトンボ「メガネウラ」モチーフのメガギラスだったからか、極楽とんぼがキャスティングされています。今となっては、二人そろって見ることはないかも。
他には、山寺宏一さんのオッハーが見れます。

本作では、完成したフジテレビ新社屋前で戦うので、いわば新社屋のお披露目映画。
前は、建設中でしたからね。

 
ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』

2001年公開の25作目。
SFショーからの怪奇ホラー。
ゴジラは、伝説やホラーの素材としても使えることを証明した作品です。たぶん。
ビジュアル的には、白目のゴジラが怖い。

演出的には、怪獣に遭遇するモブが主役の映画。
ゴジラが近くを歩くことで、家の中が縦に揺れ、皿が落ちるのは、よく撮ったなぁ~と。

さらに、二度もゴジラに遭遇する篠原ともえの美味しい役どころ。
構図としては、ゴジラの真下から見上げるアングルは良かったですが、再利用されると微妙。
盛り上がる波も二度ほど使われていましたが、こちらは違和感も……。
なんか、見ていて心地よくない。

日常の中に、突如として現れた怪獣との遭遇を丁寧に描いた。そんな印象があります。
逃げるだけじゃなく、写真を撮ろうとする人もいて、どこかコミカル。
一方で、被害に遭った人が病院に行き、治療を受けている姿を描くのは、珍しい気も。
前作にも、入院シーンはあるけど、大勢の被害者は映していないという意味で。

あと、前作に出ていた人が、違う役回りで出ているのが、興味深かったです。
まぁ、他作品との繋がりのない映画なので、同じ役回りは無理なんですけどね。

独立した一本ですが、過去にゴジラが現れていて、1作目のような倒し方をしたけど、その事実は伏せられている世界観となっています。

「かつて、ゴジラに襲われた」という設定にすることで、ある手間が省けます。
1作目やシン・ゴジラ、海外版ゴジラのように、謎の怪獣が現れたとなると、「ゴジラ」と呼ぶに至る過程が必要です。
面倒ですからね。ああだこうだ理由をつけて、ゴジラの由来を考えるのも、説明するのも。
その手間が省けるので、前にもいた設定は便利。

演出面での主役は襲われるモブと書きましたが、ストーリー上の主役は新山千春さんが演じるテレビ番組の制作スタッフ。
彼女の父親が防衛軍に所属しているので、親子の話としても見れます。

さらに見方を変えれば、胡散臭い番組を作っていた彼女が、生中継で前線を報道し、戦う人々を称える。その姿勢に、大手マスコミに対する ある種の皮肉さえ感じます。

前作は戦う女性、今回は働く女性が主役ですが、それで女性の社会進出がどうとか、言うつもりはありません。
たぶん、メインターゲットである男性ファンにとって、キレイどころが目立った方が嬉しいみたいな感じでしょう。

メカ、怪獣、女性と、男が好きなものを揃えたわけです。
でもって、水に濡れさせる。
前回も今回も、海水に浸ける。
そして、濡れて肌につく衣服。
体のラインを出すことでスケベ心を刺激し、それで絵を持たせるのは、アクション映画が得意なイメージがあります。
ゴジラシリーズでは、超能力少女がマフィアに捕まり、ベッドに拘束されているシーンが、一番エロく見えましたが……。

戦いの興奮とエロは似ているらしく、脳は錯覚しやすいとか。
「ケンカした後にセックスすると、気持ちいい」とか言うカップルがいるのは、そのためみたいな話も聞きます。
戦いの中でのエロス。それは、戦いの高揚感を増す意味があるのかも。
な~んて書いた後に言うのもなんですが、本作の彼女の場合はエロくないです。まったく。
「髪が濡れた方が、キレイに見えるんじゃない?」くらいの感想しか抱きませんでした。

そんな彼女がテレビクルーとして追うのは、古代に国を護った聖獣の伝説。
何と、宇宙怪獣としてヒール役だったキングギドラが、人類の味方側に!
とくれば、ゴジラは恐怖の対象であり、完全なるヒール役。戦争のメタファーでもあります。

聖獣には、モスラとバラゴンもいます。
……バラゴンって何?
この映画の為に、新しく作ったのかと思いましたが、『怪獣総進撃』にも出ていました。
まったく覚えていないし、印象にもない……。

怪獣としてのデビュー作は『フランケンシュタイン対地底怪獣』らしいですけど、私にはキング・シーサーとアンギラスを足して二で割った印象。今となっては。
特技は穴掘りと、モゲラを思い出します。モゲラの方が後なのに。

でもまぁ、覚えなくてもいいです。
映画のタイトルにも入っていませんし、本編では ずっと「赤い怪獣」呼ばわりなので。
あまり赤くないんだけどね……。
後半に光の粒子となって出てきたときには、「そういや、いたっけな」と懐かしくなるくらい、存在が希薄。

モスラにしても、早々に成虫になって、大して活躍せずにやられたような……。
前田愛前田亜季が出たときは、双子だから歌うのかと期待しましたが、どうやら単なるサービスだった模様。一言で言えば、台詞無しのモブ。
「私たちはコスモス」とか言ったりしません。

復活時点でのキングギドラ(この時点ではギドラ)も、スゲー弱いです。
「首の付け根が面白いなぁ~」と思ってみていたら、あっさり負けて「おいおい」な感じに。
その後、モスラの光の粉が降り注ぎ、覚醒した感じになっても、イマイチ強くない。歴代の中でも、弱い部類かも。
というか、キングギドラは水中戦に向いてないよね。
飛べる利点を捨てたら、ダメ。3つも頭があるんだから、ちゃんと考えてほしい。
それとも、船頭多くして船 山に上るですか。

最後は、特殊潜航艇がゴジラ胃カメラとなり、傷ついた箇所を中から攻撃し、熱線漏れで破裂みたいな感じだったかな。

何というか、怪獣が好きな人向けに、怪獣プロレスを見せてる映画という印象。
序盤のゴジラ対バラゴンで、報道ヘリに乗ってる人が実況していますが、あのシーンが本作の縮図かも。

怪獣と書きましたが、モスラが「巨大昆虫」と呼ばれる場面もあり、なんか「怪獣失格」扱いみたいで可笑しかったです。
わかっちゃいるけど、怪獣扱いしてよ……。

撮影された当時の記録として気になったのは、まだ存在する暴走族。
お手本のようなヤンキーによる煽り運転
彼らが、年をとっても昔のままだから、問題になっていたりして……。
新潟のトンネル崩落で中越地震を思い出しましたが、この映画の3年後なんですよね。

鹿児島では、パーリーピーポーの商店略奪、番犬を沈めるという胸糞なシーンがあり、そこに登場するモスラさんを引き立てています。

ヤンキー、パーリーピーポーと、オタクの敵(?)が続いたので、キングギドラの復活には一体どんな人がと期待していたら、自殺志願者でした。首吊りをネクタイでかよ……。

ガラケー、ホームページのアクセス数を気にする警察、チューヤンと、当時を思い出させる要素が幾つかあります。
魔女伝説の映画で村に人が来るように……という話題もありました。
よく知らないのですが、1999年公開のアメリカ映画『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のこと?

一番、懐かしいと思ったのは、ガラケーの画面で見れる流れる文字。マーキーですね。
タグはもう非推奨ですよね、とっくに。 えっ、廃止?
コレ⇒<marquee>流れる文字</marquee>

全体を通しての感想ですが、なんか長く感じますし、実際に長いです。
映画が1時間半もなかった頃の方が、展開が早くて見やすかった。
そう思いましたが、もしかしたらBGM効果かもしれません。

本作では、よく使われる定番の曲の出番が少ないです。
それどころか、BGM自体を使うシーンも限られています。
いつもの音楽に乗れば、時間が過ぎるのも早い。それがないので長く感じる……。

でも、前作も長く感じたんですよね。ミレニアムもです。
続けてみたので、飽きてきたんでしょうか……。
それとも、旧作は古い映像だから資料として楽しめたけど、それがない新しい映像だからでしょうか。
いやいや、必要以上に力んで喋る一部の役者の演技が……。

でも、あと2作。最後まで見るつもりです。
※ 『ゴジラ×メカゴジラ』は、一年以内に見たはずなんで、今回は見ない。


ゴジラ×メカゴジラ

2002年公開の第26作目。
前に金曜ロードショーで見たので、今回はパス。

 

ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS

2003年公開の第27作目。
第26作目から続く世界観。
前作を見たはずなのに、メカゴジラの名前しか覚えてなかった……。

1作目みたいな倒し方をして、残った骨でアレを作ったの? へぇ~……。
ヤバいくらい覚えてない……。
前作のドラマパートに関しては、小さな女の子と約束してるシーンを何とか思い出す程度。

で、本作の感想を一言で言うなら「墓を掘り起こすな」であり、1作目という掘りつくされた墓への別れを暗示させる内容に。
そう勝手に解釈しました。次で終わるしね。
死骸となって漂着した怪獣カメーバも、調べたら『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣』に出てた奴らしいので、掘り起こし感はありますね。

別の感想としては、「人類は、メカモスラを作るべきだった」というのも。
よく考えてみてください。
ゴジラの勝率が高い怪獣は、モスラです。
突き詰めれば、あの糸と鱗粉があればいい。

モスラの最大の欠点は、それが同時に存在しないこと。
幼虫から成虫になれば、糸は失われる。しかし、鱗粉が得られる。
モスラほど、成長に葛藤がある怪獣もいないでしょう。

その葛藤があるから、映画のタイトルに入ってる回数が多いのかも。
単純に、人気だから出番を増やされたとも考えられますが、個人的には「蛾なのに、人気って……」と懐疑的になってしまいます。
人気なら、フィギュア化も多いだろう。でも、調べるのもアレだし、検索でヒットする件数でも見てみよう。そう思い、チェックしたのが次の数字。

ゴジラ フィギュア」で約 12,600,000 件
キングギドラ フィギュア」で約 1,110,000 件
モスラ フィギュア」で約 789,000 件
メカゴジラ フィギュア」で約 773,000 件
ジェットジャガー フィギュア」で約 568,000 件
ラドン フィギュア」で約 456,000 件
デストロイア フィギュア」で約 402,000 件
ビオランテ フィギュア」で約 247,000 件
ガイガン フィギュア」で約 177,000 件
ヘドラ フィギュア」で約 148,000 件
アンギラス フィギュア」で約 141,000 件
「メガロ フィギュア」で約 122,000 件
「ミニラ フィギュア」で約 75,500 件
「エビラ フィギュア」で約 47,400 件
「モゲラ フィギュア」で約 46,700 件
「メガギラス フィギュア」で約 34,400 件
「クモンガ フィギュア」で約 9,890 件
「スーパーX フィギュア」で約 36,400,000 件

結構ヒットしているので、人気なんでしょう。
多くの作品では小美人がセットで出てくるので、そういうバックボーン的な魅力もあるのかも。
インファント島なんかは、当時の南の島への憧れみたいなものを感じましたが、実際は どうなんでしょうね。
検索してたら、「南洋群島とインファント島 - 新潟大学」というのが出てきて驚き。

話をメカモスラに戻します。

ゴジラが脅威だ ⇒ 同じゴジラを作って対抗だ」
わかりやすい発想ですが、より費用対効果の良い対抗策を考えるなら、ゴジラの形状を真似る必要性はないし、武器を似せる必要もない。
効果的に倒すことだけを考えれば、有用だったモスラの糸を開発した方がいい。
それに、鱗粉を研究し、熱線対策をする。

しかし、それでは大きな問題が発生してしまいます。
完璧に対策できたら、ドラマになりません。
ゴジラ出現、倒して、終わりです。

いや、よく考えたら、本作も その流れでした。
ゴジラの脅威を排除するため、それ以上の脅威に手を染めるか否かの葛藤。
その脅威によって起こる心境や関係性の変化。
そういうのが あまり感じられないせいか、出てきて戦って終わり。
出てくるのが同じ怪獣なので、戦いも過去作で見た感じで、映像が新しいだけ。
そういう見方になると、退屈してしまっても無理ないかも。

当時を振り返る意味での個人的お楽しみポイントは、六本木ヒルズという単語に「すでにあったんだ」とか、何作も出てるけど変わっていない中尾彬とか、そんなところ。

 

ゴジラ FINAL WARS

2004年公開の28作目。

もしかして、人間同士の方が戦ってない?
そんな映画。

人間同士って言っても、ミュータントだったり、宇宙人だったりするんですけどね。
でも、驚いたのはドン・フライ(吹き替え:玄田哲章)かも。

今まで、海外の登場人物は英語字幕、もしくは外人っぽいメイクをした日本人が演じていて日本語を話す、日本語ができる海外タレントが日本語を話すでしたが、吹き替えで来るとは……。
ついでに、ケイン・コスギも吹き替えてほしかったです。なんか、喋ると緊迫感が薄れるんで。

人間同士の方が戦っている印象が強い本作ですが、出てくる怪獣も戦いも多いです。
主に昭和の怪獣が暴れている感じで、長いことファンをしている人向けなんだろうなと。
まさか、ヘドラまで出て来るとは思いませんでした。
いや、それを言うならエメリッヒ版ゴジラでしょうか。
ディスるために登場したような感想を見た記憶がありますが、こんな感じだったんですね。勝手に、複数がわらわらと出てきて、踏まれているのかと……。

錆びついた感じのガイガンを見たときは、これが暴れだして再びゴジラが血を流すのかと思いましたが、あまり強くなかった印象。
モスラの羽が切られるシーンは、ようやく見れた感もありますが、急な高速移動で相手を破壊するのは、一体どこで攻撃すれば ああなるのかという疑問も。

「長いことファンをしている人向け」と言えば聞こえはいいですが、過去作をあまり見ていない状態だったら、内輪ネタで盛り上がる感じに受け取れたかもしれません。

バトルに関しては、序盤のマトリックスっぽいカメラぐるぐる撮影で嫌になったり、切り替えの早さに目が疲れたりしたので、「あぁ、こういうアクションがしたかったのね」と、方向性が自分に合わない感じがしました。
なので、序盤は本当に苦痛でした。ここでやめてたら、クソ映画としか書けなかったでしょう。

終わってみれば、怪獣祭りとしての楽しみ、超人格闘対決としての面白みは、あったんじゃないかと。
でも、振り返ってみても、やっぱり序盤のテラフォーマーズ感は拭えない。
あの映画、見てないけど、予告を見る限り近い感じ。

にしても、海底軍艦轟天号妖星ゴラスと、個人的には「どっかで聞いた名前」が続き、昭和の特撮を懐かしめる人には、私とは違った映画に見えたんだろうなと。
そういうのに興味がない人からすれば、きっと子供のおもちゃが暴れる映画です。

X星人は瞬きしない設定、脚フェチかと思えるような撮影アングル、シートベルトをするミニラ、少林サッカーっぽいアンギラス・ボールの怪獣サッカー、怪獣ジェットストリームタックで踏み台にされるアンギラスと、そういう点が個人的には「おっ」と思ったところでした。
「おっ」の種類が、どれも違いますが。

あと、エビラを倒した後に「エビは嫌いなんだよ」と言ったのを見て、「エビって言うか、ザリガニだよね」と、前と同じ感想を言いたくなりました。

1980年代のSFアニメのような冒頭ナレーションから始まり、「昨日の自分を超える」というセリフが出て、ボディーガードする対象の文句を言っていたら本人が後ろにいるパターンを見せられた時には、これは楽しめない映画かもと心配しましたが、思っていたよりも楽しめました。

小さな怪獣の味方をしたことで、それが大きな怪獣の攻撃停止に繋がる。
ラストのミニラは、ベタだけどベターな使い方でした。
その起点となるのが、子供という点も含めて。

それだけに、もっと序盤に掴みが欲しかったかなと。
今後の展開が気になる要素が少ないまま、意識高い系の不要な人間アクション、いろんな怪獣の世界での暴れっぷりを見せられても、それだけだとなんだかねぇ……。

 

ゴジラで振り返るバブル崩壊

「記録」として楽しむゴジラ』と題して書いてきたゴジラ映画の感想の続き。

1984年の『ゴジラ』と1989年の『ゴジラVSビオランテ』は先に見たので、その後からになります。

そんなに特撮も怪獣も好きじゃないのに、ここまで振り返れたのは、映画が2時間ないのと、流れがわかってるからかも。

流れを起承転結で言うなら、「起」がゴジラの出現または生存状態の確認、「承」が関係者の動き&ゴジラの破壊、「転」がゴジラと何かの対決、「結」が休戦状態に、かな。

この流れを繰り返すだけなら、日本列島に核の食事をしに来て、海に帰って寝るの繰り返しでもいい気がしてきた。
下手に凍結や火山に落とす、埋めるとかするより。


今回の感想は、超能力少女・三枝未希シリーズの終わりまで。
この頃から、CGを使うようになっています。


ゴジラVSキングギドラ

1991年公開の18作目。

ビオランテという新しい怪獣を出したので、次も新怪獣かと思いきや、懐かしのキングギドラモスラメカゴジラと続きます。
かつての人気怪獣を使うことで、子供時代に見ていた人を呼び込もうとしたのかな?
なんか、昔の漫画のリメイクブームを想起します……。

ただ、キングギドラが出てきた頃のゴジラって、人類の味方ポジションでしたよね。
でもって、キングギドラは宇宙人が操る宇宙怪獣。
ヤツが出てくるときは、宇宙人もセット。
今回の映画でセットになるのは、宇宙人ではなく未来人です。

空飛ぶ円盤で飛来しますが、未来人。タイムトラベルものです。
タイムトラベルでは、その時代に未来人が来る理由が大事なんですが、本作は ちょっと……。
ここから先は、読むと映画を楽しめなくなるネタバレがあるので、未視聴の人は見ない方がいいかも。

* * *

未来人の目的は、ゴジラ誕生を阻止し、キングギドラを誕生させること。
操作が可能なキングギドラで日本を脅し、将来の大国を……という感じ。
日本が“将来の大国”と言われると、現在では「んなアホな」ですが、バブル期の買い占め日本では、想像されうる未来だったのかも。

今シリーズにおけるゴジラの誕生は、ビキニ環礁の核実験により、近くのラゴス島にいた恐竜が怪獣化したというもの。
個人的には、『メカゴジラの逆襲』のときと「恐竜」の発音が違うのが気になります。

そのゴジラ化する恐竜を他の場所に移し、代わりに超音波で操れる未来のペットを島に残すことで、キングギドラを誕生させるのが未来人の計画です。
ゴジラの転送先はベーリング海
しかし、そこでも原潜の事故があり、結局はゴジラ誕生へ。
未来人の「この時代は、どこにでも核がある」という言葉は、核が拡散していることへの批判……。

恐竜時代のゴジラを守護神扱いし、あとでゴジラに自分のビルごと破壊される企業のトップに、人の都合で恐怖の対象になったり、子供の味方にポジションなったりするゴジラの悲哀が込められている……。
そう書くといい感じですが、突っ込み始めたらアレな内容です。

根本的な問題として、未来人が1992年に来る理由がないもの。
1992年の人間を同行し、1944年に飛ぶ理由が「ゴジラになる恐竜の目視確認」というのは弱い。
それだけのために、1992年の人間に多くの情報を与えるんだから、バカだとしか思えない。
転送先も工夫の仕様があるし、そもそも転送装置があるなら、キングギドラは要らない。
使い方次第で、より簡単に日本を脅迫できるでしょう……。

それなのに、彼らは1992年に降り立った。なぜか?
答えは一つ、そうしないと観客に説明できないから。

気になる点は、他にもあります。
まず、過去に連れていく1992年の人間の選別。
ゴジラ誕生」の著者、ゴジラを感知する超能力者、あと恐竜博士……。
誰も、その恐竜を見たことが無いメンツ。

見たことがある人を連れていけない理由は、同じ人物が2人も同じ時代にいてはいけないというお決まりのヤツ。
しかし、敗北したキングギドラを回収したのは未来で、サイボーグ化して過去に戻ってます。負けて海に沈んでいるキングギドラと、サイボーグ化したキングギドラで、二頭いることに……。おいおい。

というか、島には他に大きな恐竜なんていないんだし、確認する必要がないよね。
最初から1944年に行けよ。

あと、未来人なんて怪しげな連中に同行させるのを簡単に許可しすぎ。
それは過去作で宇宙人がやってきて、平和的な交流を装ったときもだけど。
こういうときだけ、政治家の決断が早くて困る。

そもそも、2204年にもなって、怪獣が兵器って……。

そういう突っ込みをするとつまらなくなるので、お楽しみポイントを書いていきます。
まず、矢追純一さんが出ています。チャック・ウィルソンさんも。
当時の彼らを知る人にとっては、「うわぁ、懐かしい」となるかも。

子どものころ、よくテレビで見た人を大人になってみると、よくわからない楽しさを感じます。
月刊ムーの編集部が映ったときも、妙なワクワク感がありました。

当時の流行が垣間見れるものとしては、ターミネーターみたいなアンドロイドでしょうか。
ターミネーター1984年の映画。
見てないけど、そのパロディは幾つか目にしています。
バック・トゥ・ザ・フューチャーは1985年の公開。
1992年の本作に、結構な影響を与えたのかも。

ただ、最大の驚きは、都庁がゴジラよりも大きいこと。
転送後にゴジラ化した方が大きくなっていると言っていましたが、それでも都庁の方がデカい。
ゴジラがビルより大きくないので、なんか迫力に欠けます。

都庁の高さは243m。
デビュー当時のゴジラは50mなので、約1/5都庁。
本作で100m級になっても、1/2都庁もない。全然小さい。

怪獣は人間の力では太刀打ちできない存在で、そのため怪獣VS怪獣だったのが、人間側の兵器が登場するようになったのも頷けます。
建物の高さというビジュアルで、怪獣よりデカい存在を生み出せることを証明しているのですから。このデカさは、物体的な意味と同時に、存在的な意味にもなるでしょう。
まぁ、今回は未来人が関与してますが。

一方で、兵器を扱いきれていない例ではないですが、先に書いた原潜事故も現実では起こってるんですよね。
ソ連の658型潜水艦K-19、K-219。ロシアのクルスク。アメリカのではスレッシャー。
検索すると、出てきます。
詳しく知らないので、言及しませんが。

 

ゴジラVSモスラ

1992年公開の19作目。
インディ・ジョーンズレイダース 失われたアークは、1981年の公開。
と最初に書いてしまいたくなるような、遺跡の探検シーンがある本作。

RPGの定番になってるけど、ああいうパズル遺跡って、モデルとかあるのかな?
よく見るけど……。というか、作ってみたいよね。

本作を一言で言うなら、モスラ・メドレー。
例の小人が、ことあるごとにモスラ絡みの歌を歌います。
前に聞いたことがあるのを3曲ぐらい。
個人的には好きなんでいいんですけど、歌ってる間は他の人の会話とかないので、物語的な進展は ないわけですよ。そのうち、眠くなってきてしまい……

人間側の物語は、復縁話が主軸になります。
ハリウッドが好きそうな感じの「危機によって夫婦仲が戻る」ってやつ。
個人的には嫌いな展開です。
皮肉めいたやり取りを最初に見た後、「あぁ、元サヤパターンか」という気分に。

当時の時代背景として注目したのは、オゾン層の破壊、森林伐採、地球も生命という発言。
ゴルフ場の建設と、それに反対する環境保護団体。
ゴルフ場ってあたりに、個人的にはバブルっぽさがあるなと。

自然破壊に対して、「地球が怒っている」というわかりやすい台詞がありました。
バブル崩壊期間は1991年から1993年らしいので、ちょうど真ん中。
撮影開始前に脚本は出てきていたでしょうから、バブルで好き勝手やっていたことへの批判みたいなものもあったでしょう。

あと、気になったのはジャングルを進む中での一言。
水筒の水を飲む同行者に、「水分は無暗に取るな、疲れるだけだ」と言うシーン。
言っている側はサバイバルのプロ的な顔をしていますが、今見ると部活動における「水分補給をするな」論を思い出します。
でもって、会社員の「社員研修でサバイバル訓練もしましたから」発言に、根性論の全盛期を感じました。
「モーレツ」言ってた人が、トップに立った時代なんでしょうね。

戦いは、攻撃型モスラとでも言うべきバトラが加わり、途中から蛾チームとゴジラに。
モスラの触覚からビームが出たとき、ちょっと驚きました。
ずっと、糸が吐ける幼虫形態の方が有利と思っていましたが、成虫形態での鱗粉による熱線反射と、先の触覚ビームがあれば、飛行能力と相まって以前より強くなった感がありました。
ただまぁ、キングギドラのように熱線で羽を破られるようなことがないのは、鱗粉以外に事情がありそう……。
着ぐるみ的に穴があけずらいとか、そういう描写は避けたい的な……。
だってほら、悪役ポジションなキングギドラと違い、モスラは平和の使者ですし。

戦い方としては、バトラの観覧車アタックは、物を使うことを覚えたという点で、印象的でした。今後も、使える建物は使ってほしいです。
そりゃもう、怪獣の武器になりそうな建築物をリストアップして渡したいくらい。
というか、バブル期に建てられた“維持費だけかかって、要らないハコモノ”を思うと、怪獣が建物をうまく使うのは皮肉かもね。

話は変わりますが、卵の輸送シーンは、キングコングを思い出しました。
あのときも金儲けのために輸送してて、途中で切り離したような。歴史は繰り返す、ですかね。

 

ゴジラVSメカゴジラ

1993年公開の20作目。

キングギドラ戦の残骸、メカキングギドラの頭部が映し出された瞬間、メカゴジラの誕生として わかりやすいなと思いました。
どうせなら、キングギドラの次に公開していれば、続きとして見やすかったような……。

本作の感想を一言で書くなら、「なぜ、ラドンをタイトルに入れないのか?」です。
本作、ラドンが出てきます。ミニラじゃないですが、子供のゴジラも出てきます。
でも、タイトルにはありません。

ドラマ部分では、ベビーと呼ばれている子供ゴジラ周りが多いですし、そのベビーと意識的に繋がっているのはラドンなのに……。

ゴジラ映画では「三大怪獣 地球最大の決戦」「怪獣総進撃」「怪獣大戦争」に、ラドンが出てますが、タイトルには入っていません。
子供ゴジラの場合は「ゴジラの息子」と、初登場時に存在がアピールされています。なのに、ラドンときたら……。

なもんで、ラドンや子供のゴジラが出ることを知らずに見ると、頼んだメニューと違うものが出てきた気分になります。
タイトルから、メカゴジラとの戦いをガンガンしてくれそうな期待感を持ってると、「おや? 中身が違うぞ」になるという話。

ゴジラメカゴジラの戦いもありますが、エネルギーが逆流して故障して停止とか、バトルとしては白ける展開……。
まぁ、メカだから仕方ないけど。
メカゴジラの性能に関しては、旧作よりもスーパーXの系譜にある感じで、初戦は圧倒的な無敵感がありました。

後半でラドンを倒し、ゴジラも……となりますが、あのラドンのエネルギー受け渡して死亡は、あまりに ご都合主義的と言うか何というか。
ラドンがそうする理由って薄いよね。
ベビーに頼まれたからって、そこまでするのかという……。

一通り気になる嫌な点を書いたので、興味深かったところを書いていきます。
まず、高島親子の会話。役者の話ね。
「お前で大丈夫か」と親に言われる息子に苦笑。

メカゴジラの操縦者に選ばれた高島息子が、武術の稽古でコテンパンにされるのを見て、操縦と何の関係があるんだ。ブラック企業の研修かなと思っていたら、後半に有休消化云々の話が出てきて、なんか楽しくなりました。
高島息子の役は、プテラノドンしか頭にないような、興味のあるもの以外は無視するタイプなんで、アレなんですけど。

個人的に良かった点は、子供ゴジラを調べることで、第二の脳があるとわかったことでしょうか。
生物学的アプローチから、弱点を探るのは良い発想だと思います。内容は、どうあれ。

子供ゴジラの赤い目とか、離れたくない時の服の袖掴みなど、言葉を話さない怪獣の気持ちを表現する動きがあったのは、台詞ですべてを語ろうとする脚本にはない良さがあった気もします。
最後の取って付けたような「命の有無が勝敗を」とかよりも。
というか、搭乗者には命があるだろうに。

当時の映像として興味深かったのは、逃げ惑う人々のジーンズに、上着が入れられていること。ジーンズにイン派が多いんですね。
あと、パソコンが古い。デカい。厚い。

ゴジラ用兵器として開発された一号機がガルーダで、失敗作扱いとして出たとき、いつか出てくるだろうとは思いました。
でもって、形状的に妙な予感も……。
そして、スーパーメカゴジラという単語が出たとき、私の頭の中ではZガンダムの主題歌が流れました。森口さんの方。
まんま、スーパーガンダムですね(ガンダムMk-Ⅱ+Gディフェンサー)
なお、Zガンダムは1985年の作品。

超能力研究室みたいなところで、ピラミッドパワーが見れたのも良かったです。
景気が悪くなると、オカルトが流行る説を思い出しながら見てました。

京都 清水の舞台など、ゴジラの観光案内も、なかなかいいアングルでした。
私より観光名所を巡っています。

 『ゴジラVSスペースゴジラ

1994年公開の21作目。

三枝さんが、ショートカットになってて、コレじゃない感が強い序盤。
イヤリングの揺れで超能力の発動を表現してるのを見て、「まさか この演出の為に髪を切らせたんじゃないよね」と思う中盤。
三枝さん、遂に恋しちゃうのかな? 男に「目を閉じて」って言ったよ。キスするのかな? と思った終盤。
そして、目を閉じて見せたのは、子供のゴジラの映像で、「えぇ……」な感じに終わった映画でした。

さて、三枝さんのことを語ったので、あとは適当に流します。
この映画の感想を彼女以外で語るなら、「真顔でモゲラ」でしょうか。
大の大人が真顔で「モゲラ」を連呼してて、なんか可笑しかったです。
兵器に、そんな怪獣ライクな名前を付けるなよ。モグラみたいな見た目だからって……。

Mobile
Operation
Godzilla
Expert
Robot
Aero-type
の頭文字で、モゲラ。
辞書で調べて、使えそうな単語を並べた感が……。

冒頭でドリルが出た時点で、地中に潜って活躍するのを期待しました。
嘘です。地中に潜って、水道管を破裂させるか、ドリルが回転したら、その反動で本体が回るのを期待しました。
まぁ、そうならないのは承知していますが……。

なのに、初戦が宇宙ってのはナシでしょう。
宇宙じゃドリルもないだろうにというか、姿勢制御も大変じゃないのか、あれ。


戦いでは、ローラーとか、武装が複数あってよかったですが、あの顔のデザインは何とかならなかったんでしょうか。ビックリドッキリメカじゃないんだから。
シリアスさが一気に吹っ飛びます。

でもって、いきなりパイロットはないよね。
島で暮らしてたオッサンを乗せるより、開発中のテストパイロットとか、そういう人の方がねぇ……。操縦方法も覚えないといけないし。

でもって、あのオッサン。気難しいけどできる人かと思いきや、そういう描写よりも迷惑な人として映ってることが多くて、老害の文字が頭をよぎりました。
使われる部下が言う「上司を気にして、いい仕事ができるか」は名言ですね。軍隊じゃNGですけど。
何というか、ここ数作のブラック企業体質な組織への反論と考えると、面白いという意味での名言です。

バブル崩壊前は何でもうまく言っていたので、上司に「はいはい」言っていた部下たちが、「違うだろ」と言い始めていたのでしょうか? 現実でも。

タイトルになっているスペースゴジラは、ビオランテモスラと戦った際、宇宙に散ったゴジラ細胞がどうたらこうたらで、ああなったという説明でした。
最後に、「宇宙を汚せば、第二のスペースゴジラが」と、押しつけがましい警告がありましたが、宇宙なんて放射線だらけでしょう。恒星が核融合してんだから。
そういう意味じゃ、汚すも何も、汚れてんだよ、最初から。

スペゴジは、デカい水晶を背負ったデザインだったので、あの水晶を付けたまま、どう戦うんだろうと思っていたら、地上に降りた瞬間に縮むんだもの。ガッカリです。
その後、バリア的に出したり、地面から生やしたり、謎能力で戦うんですけど、イマイチ奴の能力がわからないので、バトルとしては微妙な感じでした。
能力解説の無い異能バトルみたいな。
まぁ、ちょっと内容に飽き気味で、ぼんやり見ていたこともあるかも。

福岡タワーで宇宙エネルギーを集めという話になったときは、こりゃ超能力ゴジラやんけと、萎えました。
三枝さんのサイコキネシスは、奴の能力の伏線だったのかなぁ~と、見終わってから思っています。。。
今回も、超能力研究所ではピラミッドパワーをやってて、前よりオウムっぽくて大丈夫かなと心配に。地下鉄サリン事件は、この映画が公開された翌年なので、アレですけど。

怪獣が福岡の街を闊歩していましたが、2016年の博多駅前道路陥没事故を知っていると、「よく歩けたね」という気持ちになります。

他に気になったのは、毒を持つ蜘蛛をナイフで刺すシーン。
「殺される」と思ったら、傍にいたヘビやサソリだったってシーンは、何が起源でしょうね。よく見るシーンなので、気になります。
そういや、一時期タランチュラという単語を頻繁に聞いていたような。

島で暮らすオッサンのシャワーシーン、血液凝固剤、煙幕地雷、脳波マシーンで気を失う三枝さんと、バース島では印象的なシーンが幾つかありました。
地雷に関しては、子供ゴジラが踏むんだろうなと思って見ていました。
大きいゴジラが踏んだ後は、煙幕モクモクじゃ銃の狙いも定まらないだろうにと、オッサンの評価に疑問符が。こいつ、使えないタイプのオッサンじゃ……と。

パシフィック何とか(VSキングコングに出てきたパシフィック製薬じゃない)にマフィアがいて、さらわれた三枝さんを救出するために侵入するときは、デキる人の動きをしてたので、どっちだろうという目で追い続け、最終的には迷惑な人という地位に落ちつきました。

定番の逃げ惑う人々では、松村とかはいいとして、一般人にロン毛男子がいたのが驚き。
ゴーゴー時代にもいた感じの黒髪ロン毛です。
この時代にもいたんだなぁ~と眺めながら、ゴジラの九州観光を見ていました。
それでふと、ゴジラが歩くのは、被爆体験を共有するためだったら、相当なアレだなと。

放射能の被害にさらされていない地域に行き、「同じ苦しみを味わえ」とばかりに歩く。
その方が分かり合えるだろう。
そんなメッセージだったら、という話。

だからって、三枝さんが主張する「ゴジラを好きになる」には、無理がある。
街を壊してんだもの。
お花畑思考の代表に彼女がなったのは、悲しいような、必然なような……。

子供ゴジラが出てくると、ゴジラは味方みたいになり、終わりに向かっていく。恐怖の対象から外れたときに、シリーズが終わる。そんな感じがありますね。

 
ゴジラVSデストロイア

1995年公開の22作目。

タイトルにデストロイアとあっても、「破壊者的な意味で、付けたんだろう」と思って見てみたら、1作目のアレで複雑な気分に。

なんか、あの1作目と世界観が繋がっていてほしくなかったような……。
ほら、タイトルごとに世界観が違うじゃないですか、ゴジラって。
映画によって、キングギドラの操縦者が違うように。

このテレパシーだの、テレキネシスだのやってる世界と、あの1作目の世界を繋げて欲しくない気持ちがありました。
怪獣島云々言っていた辺りの作品となら、繋がっていても別にいいですけどね。

超能力作品そのものを否定する気はないですが、フィクション要素は限定した方がいいというのが個人的な考え。
ゴジラという大きな嘘をつくなら、他にはリアリティを持たせてほしいのです。もしくは、その大きな嘘に沿った嘘にしてほしい。
でないと、何でもありの“めちゃくちゃワールド”になってしまう。

ついでに、いきなり40年前の白黒映像で、眼帯の博士を見せたら、初見の人はビジュアル的に、彼をマッドな人と捉えてしまうのではないか。
そんな懸念もありました。

まぁ、そういう懸念も忘れるほど、個人的には退屈な映画でした。
何ででしょうかね、まるで緊張感が無いんですよ。

バース島がBurstして、ゴジラに変化が起こってメルトダウン危機。
そう聞くと、大変な自体だと思うんですけど、いつもと違って赤いゴジラが、いつものように街を破壊。
場所が香港でも、「今回は海外か。頑張ったね。面倒な看板が多い都市なのに」と。
そんな感想に。

これよりなら、ヘドラ戦で鉄塔が壊され、電気を使う作戦が実行できない云々で、あたふたしている方が、遥かに画面に緊張感があって、退屈しなかった。

デストロイアに関しても、もっとも緊張感があったのは、エイリアン映画の真似みたいに、マスコミ女性を襲ってるところ。
あとは、そのマスコミ女性が解説役になり、「あれが、デストロイアの成長しきった姿」とか、一目見て断言できるほどの不思議な役回りに。
未知の生物の成長具合を、何で断言できちゃうのさ……。
明らかに説明台詞過ぎて萎える。

他にも、小さなデストロイアが合体して巨大化しただけでも、展開的に「うわぁ……」だったのに、その「集まって巨大化」まで解説しちゃうんだもの。
あのシーンを見て、そんなこと言えるかな、普通。
「何が起こったんでしょう。突然、大きな生物が現れました」の方が、リアルってもんじゃない?
そういうところを含めて、現場に混乱がないから緊張感のカケラもない。
予定調和の変化を解説されている気分で、白けるのです。

ちなみに、スライムみたいな単細胞生物でもないのに、集まって巨大化はない。いくらフィクションでも、嘘が下手だ。
そういう意味での「うわぁ……」です。

書きたい不満点は書いたので、お楽しみポイントを少し。
まず、三枝さんのサングラス。
前作でも、変なサングラスを付けた野郎が二人いたので、「この時代のサングラスって……」となりましたが、その男の影響だと考えると微妙な気持ちに。

スーパーXIIIが出てきます。
もう出ない気がしていたのでワクワクしましたが、翼があったので妙に残念な気も。
ロマン兵器っぽさが薄れたので。
今回は武器が冷凍系に特化し、遠隔操作ではなく、搭乗型に。
「これで来年度の予算もない」という一言に、バブル期が終わっていることを感じます。

日本の学生がインターネットでデータを送ってきた発言がありました。
そのあとに出てくるのは、たぶんMOディスク。
公開年はMicrosoft Windows 95 のリリース年です。
ようやく、データが「磁気テープ」の時代が終わったんですね。

当時の海水浴場と、水着&サーフボードが見れます。
なんか、古臭く感じました。デザイン的に。

東京ビッグサイト東京国際展示場)が壊されるシーンがあります。
せっかく壊されたのに、逃げ惑う人がいないので残念。
「来年のコミケ、どこでやるんだよぉ」とか言ってほしかった。
まぁ、当時は晴海でやっていて、ビッグサイトは公開翌年から らしいですけど。
あと、あの建設中の建物は、フジテレビの本社ビルでしょうかね。
1996年に完成してるようですが。

ゴジラ映画には、科学者ポジションの人が出てくるわけですが、この作品では一人で研究をしている感じじゃないのが、良かったですね。
研究者が一人で成果を出す時代じゃない。というか、そういうもんですよね。
一人で何でもやる天才の時代は、終わった気がしました。

台詞のリアリティという意味では、何かの賞を受賞した博士に対し、「(その研究は)私たちの生活に、どう役立つのか?」というマスコミの質問は良かったかも。
「お前らは、どうよ」って、突っ込みたくなりますけど。
「マスコミは感情的で独断的」というセリフも、よく書けたなぁ~と、広報展開を考えると思ってしまいます。

闇営業と麻薬で考えるコンテンツ封印の理由

麻薬を使ってた ⇒ その人が出てるコンテンツを削除・修正・放送中止
闇営業してた ⇒ その人が出てるコンテンツを削除・修正・放送中止

一緒に並べると、わかりやすくなる気がした。

闇営業は、明確に反社会的勢力の存在がある。
麻薬は、反社会的勢力の資金源である可能性大。

反社会的勢力の排除を掲げるなら、奴らへの金の流れを止めたい。

麻薬や闇営業を取り締まるのと同時に、奴らに流れる金の元を断つ。
そういう意味で、「上流の村ごと焼き払え」みたいな判断を感じる。

上流の村には問題ない人もいて、「なんで俺まで」と言ってるわけだけど、村に一人でもいたら連帯責任的に扱うことで、見せしめ&抑止力にしてるのかなと。

芸能人は露出が多い分、その影響力も大きい。
その影響力を悪用されれば、というかロクでもない商品の宣伝も、十分に悪用な気もするけど、とにかく被害はデカいわけだ。

上流の村の犠牲より、下流にいる大勢を優先し、コンテンツは封印される。
そう考えると、ちょっと意見も変わるかもしれない。

人類は、いつまでスポーツを続けるのだろう?

スポーツは、健康に悪い。体の一部を酷使するようなのは特に。

整形外科に行くと、そう思ってしまう。

問診票に「スポーツは、やっていますか?」という項目があるからだ。

こんな項目があるということは、スポーツ特有のケガや肉体的不都合があるのだろう。

「健康のために運動を」というのであれば、身体全体を自然なレベルで、適度に動かすものが好ましい。
そういう動作を体操として、もしくは踊りとして考案するのが、ベターじゃないだろうか。

人間の動作として、本来はしないもの。
不自然な動きを繰り返すスポーツをし、ケガをするリスクまで背負って、部活動などに時間と費用を使うのは、どうかという話でもある。

att3200.hatenablog.com


前にも書いたので繰り返す部分もあるが、スポーツによっては「動かない時間」が多いケースも。
正直、それは無駄な時間としか思っていない。

「自分がしてきたことは、無駄じゃなかった」と思いたい人は否定するだろうが、やはり無駄だったとしか思えない。

 

att3200.hatenablog.com

よくゲームが暴力的、戦争を遊びにしているという批判を見るが、人殺しの道具を競技用にしたスポーツなんて、探さなくても見つかる。
何より、陣地という発想自体、自分の土地を守るという農耕民の……以下略。

 

att3200.hatenablog.com

どんな宗教の人も、信じている神

どんな宗教の人も、信じている神。

それが死神。

まぁ、「神」としての存在定義が違うんだろうけど。

いろんな国のいろんな作品で耳にする。

和訳されて「死神」と聞くから、「神」と捉えているだけかもしれないけど、そもそも「死」に「神」が関わっていると考えるのは、なぜだろうか。

自然現象でも、生老病死でも、説明できないものは「神」という便利存在を使い、説明してきたのでは ないだろうか。

理解していないことは怖いこと。

その恐怖から逃れるため、説明できる何かを人は求めた。

言語による情報伝達を可能にした人類は、説明できないことや知らないことに恐怖を抱くようになった。

知っていることが、重要だと気付いたから……。

わからない恐怖を、知っているつもりになって説明できるのなら、神でもなんでもよかったのかもしれない。

例えば、XXXでも。

「美味しいか?」と訊くな

食事中に「美味しい?」と訊かれるのが嫌だ。

理由は次の通り。

  • 本当に美味しくて「美味しい」と言っても、味覚は人それぞれ
  • 美味しくない場合、作った人の前で「美味しくない」と言いたくない
  • 買ってきた物であっても、買ってきた人の前で否定的なコメントをしたくない
  • 上の二つは、その人の労力を否定するようで嫌なのだ

以上。

身内に、「美味しいか?」と訊くのが好きな爺様がいる。
私が「美味しい」と言ったものが好みでなかった場合、「なんだ、美味しくないじゃないか」と不機嫌そうに言う。
なんで、そっちの反応まで保証しないといけないのか。
「黙って食えよ」と思わなくない。

一方で、何か話したくても、話題の振り方が「美味しいか?」しか知らない可能性もある。
「不器用だから」と配慮するしかないのか。

「好みは人それぞれ」と言い続けたら、「美味しいか?」と訊く相手を変えた。

人が美味しいのか知って、どうなるというのだろう?

相手に「美味しい」を伝えたいときは、作ってもいない&買って来てもいないのに「美味しいか?」と訊く人がいない場所で伝えたい。
もしくは、「ごちそうさま」の一言に全てを込める。

書いていて、下記の記事を思い出したのでリンクを。

店主の目の前で「ラーメンがまずい」は名誉毀損?な話。

news.mynavi.jp

* * *

最後に、私の食事に対する考え方をひとつ。

美味しいものを食べる必要性はない。